七竈の食器棚

徒然なるものを竃につめこんで。

自担に命日を伸ばされた話

こんにちは、七竈です。


あいも変わらずゆるりゆるりとしてるジャニオタです(一応)。


さてまたなんとなく語りたくなったので書きます。


はい、タイトル。



「自担に命日を伸ばされた話」



……はい?ってなりますよね。でも私はタイトル通り山田さんの活躍で生きることを伸ばしたのです。


というか山田さんの大きな仕事が入るたびに、「今ここで死ねへんわ!!!」となって日々を過ごして……気づいたら今に至ってます。


さて私が山田さんの活躍で生きることを決めたのは、2009年の話です。


NYCboysの結成が発表され、横浜アリーナで連続コンサートをやり、ファースト写真集が発売されるもシングル出ねえええええ!!!ってなったあの年です。スクール革命!開始の年でもありますね。


私は当時、中学二年生でした。中学二年生という年は、私の住む地域ではとても大きな意味があります。


高校受験でよく聞く内申点が、私の住む都道府県では中学二年生から数えられ始めます。中学二年生の1年間の成績と、中学三年生の1、2学期の成績で内申点が決まり、高校入試の受験校を決める基準になります。


ですから、教育熱心な家庭で育てられる子どもは自然と中学二年生から目の色を変えるようになったりします。学習塾、先生方もそうです。



私はというと、どちらかといえば教育熱心な家で育ちました。いや、カナリですかね。私はそれが当時普通だと思っていたので、自分の家が他と比べてどうだったのか当時はわかっていませんでした。


でも当時のことを語ると大体の友人にドン引きされます。





「最低でも△△高校(県で4番目に偏差値が高い)に入学しないと家から追い出す」と母に中一の終わりに言われたのが、私の中学の黒歴史の始まりでございます。


母が△△高校を基準にしたのは、その一つ上の高校が母の母校であり、私が小学生の時に戯れで友人と行きたいと言っていた高校だったからでした。


ちなみに当時その友人とはすでに疎遠になってました。目も合わさない言葉も交わさないほどでした。進路に関する下手なことは親の前で言わないほうがいいと本気で私はこの時に学びました。




中学二年生になり、私は元から制限されつつあったものがさらに制限されるようになりました。


マンガ、ゲーム、テレビ、友人と遊びに行くこと……。


母はインドアな人であり人付き合いも苦手なほうです。(これは父もです。)それどころか、友人が多くいればいる方が悪とすら思ってる傾向があります。


「○○ちゃんは土日は**さんたちと遊んでるんですって。そんなことしたって無駄に体力使って勉強できなくなるだろうし、危険にもあいやすいのに。」


こんな感じでした当時。危険にもあいやすいというのは、昔私が遭遇した事件から不審者情報にとにかく過敏になってるからだろうとは推測つきました。が、基本トゲトゲしてるのと機嫌を損ねたら面倒だと私は従っておりました。


漫画とゲームは購入することは禁止、テレビを五分でも見てたら「そんなことしてる暇があれば上に行って勉強しなさい。」と怒鳴られます。


見ていいテレビは、Hey!Say!JUMP、NYCの映像、山田くんのドラマ(どちらもCM、他の出演者の部分が編集済み)。


唯一購入を許されたのはduetのみ。(母の推しKAT-TUNも載ってるから)



……さて、私がこのような生活になりどんな中学生になったかというと。



ジャニーズのことしか話せない、妙に座学の成績だけいい中学生でした。(それでも当時は劣等生と思ってましたまじで。なんせテストのたびに怒鳴られてましたので)


ジャニーズ以外の芸能人は、「顔と名前は一致するけど動いてるとこは見たことない」でした。まじで。


話題の映画もドラマも、ポスターや雑誌の宣伝で静止画だけなら知ってる(でもアイドル誌に載るものだけ)


ゲームも広告で載ってるものだけ。


漫画もわからない。


ドラマも知らない。


映画も知らない。


歌手も、俳優も、ゲームも、漫画も、何が好きと聞かれても知らない。


好きなアイドルは、ジャニーズ。それも当時のHey!Say!JUMP。時代は今もですけど、嵐の時代。



……周りの話についていけなくなっていきました。そしてちょっとでもついていきたくて、嵐のことには詳しくなりました。数少ない友人に嵐オタがいたのもありました。


そしてKAT-TUNオタの母がいたため、少なくともジャニーズの話だけはふられたらできるようにしよう!!と唯一触れられるメディアであるduetを貪るように隅々まで読んでいました。



はい、それで錬成されたのはやたら知識だけあるジャニオタでした。



……だいぶ気持ち悪い存在だったと思います。ジャニーズのことを振るとすごい勢いで喋り出すんですから。しかもメガネの基本仏頂面の優等生(周りから見たら)が。



実際去年小中高と一緒だった男子と話す機会があったんですが、「七竈さんってジャニーズだけ詳しい変な子やと思ってた」と言われました。ちゃんと話したら意外と普通やなと。


全力で思わず彼に言いました。



「当時許されてたのがHey!Say!JUMPのCM編集済みの映像たちとアイドル誌だけだったんだよお!!


うちの家ネット繋がってなかったんよ当時いい!!!!


まじで他のゲームや漫画やら知るすべがなかったのおお!!!」



……めっちゃ同情されました。パリピな元野球部生徒会長、意外と優しかったです。ごめんよ当時嫌ってて。




当時の彼の周りの私の評価、「ジャニーズ事以外はおとなしい優等生」でした。


優等生と思われてたこと知らなかったよ。全力で猫かぶってたもの、家庭の方針で。





さて少し脱線しましたが、このジャニーズだけに詳しい中学生がクラスでどんな立ち位置だったかというと、もうなんとなく察せられた人もいると思います。



スクールカースト最底辺でした。



大人しいし口答えもしなさそうな感じですし、小学校のメンバーから見たらよそ者だったためクラスに馴染めてませんでした。


先生にはめっちゃウケが良かったです。私の中学はめっちゃ中身が古いです、当時は特に。先生の言うことを聞く子がとにかく評価されてました。生徒会に入らないか勧められてました、一年生の1学期の時点で。全力で断ってましたが。


時が流れるにつれ、クラス内の個人の成績が出始めた頃。


私は影で「点数稼ぎ」とあだ名されていました。


私はよく、班長やなんやら、まとめ役を任されたり、先生に言われ提出物を集めたり配ったりすることをやってました。


内申点を必死に稼ぐいい子ちゃんと言う感じでした。実際面と向かって言われたことがあります。「媚びなくていいもんね、あんた普段からいい子ちゃんやもんね」と。


「成績を取るかどうかで今後家にいせてもらえるかどうか決まる」なんて、当時の私は言えませんでした。


私がそう言われるのに慣れ、クラス内で浮くのも慣れた頃。


クラスメイトかつ数少ない嵐オタの友人が、学校に来なくなり始めました。2日に一度、部活だけ顔を出す、というような感じになりました。



理由はわかりませんでした。聞けませんでした。無理やり聞き出すことで、人の心を抉ることがありますから。というか聞くすべを私は当時持ってませんでした。(友人の家を当時知らなかったので……。)



もう一人の友人でありクラスメイトも学校には来るものの、ふさぎ込むことが増えました。



ただでさえスクールカーストの低い私たちが暗いと、まあジメジメして見えたと思います。



「お前らがいると暗いから学校来るなよ」とリーダー格たちに言われるようになった次の日。



もう一人の友人も、学校を休みました。


私は、その日ひたすら息をして静かに授業を聞いているだけでした。部活も休んで家に帰りました。


帰ってきた私に母が話したのはこんなことでした。



「おばあちゃんの家の近くのコ、(別のクラスの子のことでした)最近不登校なんですって。家の恥やんな不登校なんて。」「そんなの、世間様から何言われるかわからへんのに。」




息が止まりそうでした。ちょうど私は、仲のいい友人たちが最近休んでると言おうとした直後でした。


きっと私は、私たちは、永遠に人から理解されないんだろうなあ。


そう思ったのを覚えてます。




その日は塾がありました。不登校を恥という親が熱もない娘を休ませるはずがありませんでした。


私は幼稚園の時に使ってたとっても太い縄出てきた縄跳びを輪っかにしてから、家を出ました。


塾の帰り道、母が袋を渡してきました。「もうKAT-TUNのとこは読んだから。はい。」




毎月必死に読んでいるduetでした。私は友人たちのショックで唯一の楽しみをすっかり忘れていました。



死ぬ前にduet読むことになるのかあ、まあ私らしいなあ……と思いながら縄跳びをカーテンレールにくくりつけ、ベッドに座ってduetを開きました。




そこで私はまたも息が止まりました。今度は興奮して。



山田くんが、24時間テレビのドラマに出演することが決まったという記事でした。2009年の24時間テレビのドラマ、錦戸亮くん主演「にぃにのこと忘れないで」です。



duetの中には、キラキラしたアイドルたちがたくさんいました。先に学校に来なくなった友人が好きな嵐の二宮くん。その日学校を休んだ友人が好きな当時NEWSの山下くん。


そして、私の大好きHey!Say!JUMPの山田くん。




キラキラとまばゆい彼ら。ニコニコと可愛らしい笑顔でページの中に収まるアイドルたち。




私はその翌日、初めて校則を破りました。その日は、運がいいことに友人二人とも、学校に来ていました。



放課後、基本的に誰も普段来ることがない特別教室(先に来なくなった友人が教えてくれました。彼女はいつからここで一人になるようにしてたのかと考えると辛い)の前で、手に入れたduetを読みながら3人でキャーキャー言いました。情報ページを見て、それぞれの担当のアイドルの夏のテレビ情報やらなんやらを、ノートの端っこにメモしました。




「よし!これを全部見るまでは死ねへんな!!私ら!!!」

そう言ったのは嵐オタの友人でした。




「せやな!!私は24時間テレビまで死ねへん!!」

NEWSオタの友人が言いました。



「私もや!なんてたって、私はバレーボールも24時間テレビもあるんや!Hey!Say!JUMPとNYCなんて二足のわらじきっついわー!!」



そう言って3人で大笑いして、泣きました。






さて私たちの命日ぼんやり決まってもーたなーなんて言って帰ったその後。



まあジャニオタにお休みなんてなく。


次々舞い込んでくる新しい情報に私たちは踊らされるようになりました。それぞれ違う雑誌をこっそりカバンの底に入れて持ち込んでページを交換し、担当の主演ドラマやバラエティが決まれば「また命日伸びてもーたわ!!」と笑い。



そうして、地獄やわと言っていた二年生が、気づけば終わっていました。私も、あれこれ「こいつ今すぐ階段から突き落としてやろうか」なんて思ったことがありながらも、成績はいい方で二年生を終えました。



「三年生になっても、こんな調子でごまかせるかなあ……。」と言っていた私たちでしたが、神様の思し召しか、さりげなく担任の先生や周りの先生がクラス内を見て察してくれたのか。



3人とも次の年も同じクラスでした。しかも、同じ部活で私以外の二人とも仲のいい二次元オタクの友人も一緒で、部活のヨンコイチなメンバーが揃っていました。




「生きてれば、いいことってあんねんなあ……。」と言ったのは、誰だったか覚えていません。でも、3人でいた時に誰かがポツリと言ったのを覚えています。


そして命日をジャニーズに伸ばされ続けた私たちは、三年生を比較的平和に過ごし、生きて中学校を卒業しました。





命日を伸ばし続けた私たちですが、今はというと連絡を取ることはほぼなくなりました。ですが、縋るようにしてジャニーズたちに食らいついていたあの日々よりも、それぞれが生きやすい場所に行けたということだなと感じています。



私は当時の母の言いつけや言葉にあった理由を知り、感謝はぶっちゃけしませんし恨みもたくさんありますが、自分の中で一区切りはつきました。



なぜ今これを書くかというと、単純に中学生が期末テストの時期だというのと、片付けをしていて当時の山田くんが出てきたからです。



成績やクラスのこと、親のことやたくさんのことに苦しむ人たくさんいるだろうなあと、ツイッターのTLを見ながら思うことがあります。


その度に思うこと。



「生きてれば、なんとかなる。」



しんどいのは、準備期間です。今の場所から抜け出す時の。そして力をつけて、抜け出せる日が来ます。



私はまだ抜けきってませんが、もうあの日々は過去になっています。



だから、もしこれを読んでる人で今の環境がしんどい人がいたら、これをして欲しいです。


※極限です。私はそれしかなかったからこれしか知らないのです。



「好きなものを愛せ!!愛して日々を過ごせ!!それを愛するうちに、時間は経ってる!!その愛があれば、生きていける!!」



私は縋るしかない環境にいたのもありますが、結果的に得たその時の思い出は、宝物になっています。



もっと、いい方法はあると思います。


でも、誰にも言えない、居場所がない、苦しい。


それなら、好きなものに対しその苦しみを倍にして、愛として渡してください。



全力で、好きなものを愛してください。



死んでしまったら、それを愛することもできなくなるのですから。



愛せるのは、生きている今なのですから。



さて、最後になりますが、叫ばせてください。





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山田くん!!今日も全力で愛してるよ!!!!



勝己くんが、私の光になった話

初めまして。七竈です。


コンサートには行かない(行けない)、CDはお金に余裕があったら買う、

雑誌は基本よほど気に入ったら買う、



というお前それでオタって名乗るなよと石を投げられそうな感じのスタンスのジャニオタでございます。


「オタじゃないというにはちょっと知識量豊富すぎるで自分。」と言われそうな熱量で、担当や推しなモノについて語る部分がありますので、ジャニオタと一応名乗っております。お前ジャニオタって認めねーわな人はどうぞこのブログからUターンしてくださいませ。






さて、私がなぜこのブログを書こうかも思ったか。


ただ単に担当と出会って10年目になるからでございます。


10年ですって。10年ですって……。


と、自分で衝撃を受けたのではまったきっかけをふと記録をしてみたくなった、というのもあり今筆を進めるならぬ、指をすべらせております。




私の担当。それは、もうツイッターで見られた方はご存知でしょう。


Hey!Say!JUMPの、山田涼介くんでございます!!!!ああかっこいいよ山田さん!!美しいよ!麗しいよ!!まぶしいよ!!存在してくださるだけでありがとうございます!!!!




というノリで応援するようになって9年目の夏でございます。はい、知ってから10年目ですが応援は9年目です。ややこしいですね。




そんな私が山田涼介くんを知ったのは、10年前の夏。祖母が毎月買ってくれる、今はなき学年誌「小六」のジャニーズページでした。


当時私は、KAT-TUNのファンでした。私の母は野ブタからの亀梨オタで(今もです。今も熱狂的に亀梨くんを愛しております。ですが自分のポリシーで、コンサートには行かないオタでございます。私のジャニオタスタンスのルーツは間違いなく彼女です)、その影響でKAT-TUNを応援しておりました。


KAT-TUNの当時のツアー「TOUR 2007 cartoon KAT-TUN Ⅱ You」のレポート記事を読んでホクホクしてページをめくったところ、とんでもない衝撃を受けました。


え、なんか女の子がいるっっ!!めっちゃ顔の綺麗な女の子がいる!!


……探偵学園Qの役作りのため、髪を伸ばして写っていた当時14歳の山田涼介くんでした。いや女の子って書いたら知念くんでしょと思われたかもしれません。実際出会いについて語ったら勘違いされました。うん、知念くんあの頃からめっちゃ可愛いわ。たしかに天使だわ。でも当時11歳の私はガチで山田くんを女の子と見間違えたのでございます!!!


その記事は、KAT-TUNのそのコンサートで結成が発表されたHey!Say!7というユニットの紹介記事でした。そう、旧Hey!Say!7です。私は「二個上の人ばっかだー」と少しだけ年齢が上の彼らがアイドルとしてCDを出すことに衝撃を受けておりました。


そして世間の同世代が探偵学園Qにはまり、山田涼介くんが世に知られていく中、私はちょっと気になる存在として山田くんを覚えただけでした。


……はい、当時探偵学園Q、見ていませんでした……。のちにあれほど後悔することになるとは……。気になっておきながらなぜ見なかったのか。いや本当に自分でも疑問です。


たぶん、当時そこまでドラマに執着していなかったのだと思われます。初代イケパラも、たまたま見て面白かったのと周りが見ていたのとで途中から見た覚えがあります。その次クールにあった有閑倶楽部は、当時KAT-TUNメンバーだった赤西くんが主演していたこと、学年のリーダー格女子が赤西ファンでなんとなくお話しできるように見た覚えがあります。原作と違うwwwと母と笑いながら。(全巻家に有閑倶楽部があります。)


その後、山田くんを気になると思いつつも周りがはまっていく中、私はゆーるりと母が応援するため亀梨くんにキャーキャー言ってました。たまに赤西くんにキャーキャー言ってました。Hey!Say!7がHey!Say!JUMPになり、デビューし、年末の歌番組の時期になってもそうでした。この時はまだ、Hey!Say!JUMPは常に母が動画を編集するときにバッサリ切り落とされていました。今思えばなんてもったいない。


私が山田くんに堕ちたのは、ドラマ「1ポンドの福音」の時でした。彼の存在を知ってから半年後です。周りが堕ちていく中、少し遅れて堕ちました。演技で堕ちました。いじめられっ子な勝己くんに、自分を重ねて泣き、堕ちました。



ここまで書くと私が当時いじめられていたみたいになりますが、いじめられてはいませんでした。ですが、クラス内が居心地悪すぎて、ニコニコ作り笑顔を貼り付けているクラスメイトが怖かった頃ではありました。



当時私は年末のテレビ雑誌で、亀梨くん主演の「1ポンドの福音」に、山田くんが出ることを知りました。あーあの女の子みたいな……と思って写真を見たときには、髪は短くなっていて「あ、男の子なんだな」と感じました。


母と共に1ポンドの福音を見る土曜日がやってくるたび、私はクールな勝己くんを目で追うようになりました。


いかにも優等生という感じの勝己くん。


上靴にいたずらされる勝己くん。


掃除を一人押し付けられて、放棄しようとするも結局やりきってしまう勝己くん。


……正直、自分を見ているような気がしました。このころはそんなことなかったはずなんですけど。この頃の記憶にはありませんし。


当時、というか小〜高校入学まで私は優等生を演じていました。また書くかもしれませんが、母の指示で優等生をしていました。登下校では近所のおじさんおばさんに挨拶し、学校でも先生に挨拶し、テストは常に満点、特技はピアノ、班活動では班長に多数決で決まり……など優等生なお嬢様というテンプレートをこなしていました。お嬢様でもなんでもありませんが。(たぶん母はお嬢様のように育てたかったのかもしれません。名残はありますが残念ながら逆効果でした。)


先生からも何かするときに頼まれるような優等生を演じていたせいか、気付けば掃除も班の中で一人やっているということが多かったです。周りを見ていなかったというのもあるかもしれません。


この時のクラスではありませんでしたが、毎年モノ隠しに遭いました。上履きがゴミ箱から出てきたり、帽子がなくなって探しに行けば校舎内の池に捨てられていたり、雑巾を留める洗濯バサミがなくなればベランダの外に落とされていたり。(洗濯バサミ落としはかなり長い間続きました。未だになぜ洗濯バサミだったのかわからない)


子どもの頃ならよくあることでしょうけれど、少なからずこのようなことに傷ついてきました。これらは全部小出しでしたので、よく漫画にあるような一気にネチネチ続くようないじめはありませんでした。でも地味にダメージ来ますね。あとこれの全部だれがやったのか未だに私はわからないのが怖い。親は把握してるらしい。なんで親がわかって私は気づかなかったのか。怖い。


それは置いておいて。


1ポンドの福音は、減量が苦手なボクサーが優しいシスターに一目惚れして振り向いてもらうために頑張るというラブコメディー。山田くん演じる向田勝己くんは、亀梨くん演じる畑中耕作というボクサーが通うボクシングジムの一人息子で、ドラマオリジナルのキャラクターでした。


全然私と共通点はないはずなのに、私はもうドラマの本筋のラブコメディそっちのけで山田くんだけを目で追っていました。


途中でジムのメンバーにいじめられていることがバレて口止めする勝己くん。お母さんにいじめがバレて「情けない」と言われて家を飛び出す勝己くん。


一人戦っている彼を見て、12歳の私は泣いていました。いじめられてはいなくても、クラスでどこか疎外感を感じていたからかもしれません。中学生という立場が近づいてきて、不安だったからかもしれません。でも、私は遊具の中でうずくまっている勝己くんを見て、私みたいだとなぜか思ったのでした。


私のクラスは、当時卒業に向けて思い出作りしよーねーという感じで、残りの日数を全力で楽しむ!という感じがありました。ですが、私はそこにどうしても違和感を感じていました。


当時のクラス担任は、楽しければなんでもいいという感じの人で、子どもをいじったりすることにも躊躇しませんでした。ギターを持ち込み、奥田民生を流し、弾き歌いをし。


彼の事務机を、彼を慕うクラスメイトが取り囲んで先生が楽しそうに歌っているのが日常。その前の年の私なら、きっと楽しそうでいいクラスなんだろうなと感じていたでしょう。感じていました。4月になってその先生が担任と知り、とても喜びましたから。


私は、その輪にはいませんでした。


入れない、というよりは入らなくなりました。


入る隙がなくてが理由なのか。その輪に入る資格がないとわかったからか。私はクラスの隅で仲のいいメンバーとだけいました。


どこか先生を中心にみんなで笑おうという空気について行けなくて。なぜついて行けなかったのかは、当時の自分はわかりませんでしたが、どこか嫌悪感がありました。


一番ついていけない、となったのは、あるクラスメイトがお腹を下してしまった時のことでした。


あまりにもお腹がしんどくて保健室に行ったそのクラスメイトの席に近づいて、その先生は言ったのでした。


バキュームカーみたいな臭いがするな」


そう言った途端、いつも先生の周りを囲むメンバーがドッと笑い、それにつられて笑っていく笑いの連鎖。


側から見たら、とても楽しそうなクラス。先生が面白いことを言って、クラス内が笑いで包まれている様子。


それは、私にとってクラスが地獄に変わった瞬間でした。


ふとクラス内を見回して、私の仲良しメンバーが笑っているか確認しました。無理やりその子たちが口角をあげているのがみえたとき、私もそっと口角をあげました。口から出たのは、他のみんなとは違う、乾いた笑い声でした。


保健室に行ったクラスメイトが6年間一緒のクラスメイトで、同じように運動会のたびに邪魔者、貧乏くじ扱いされてた子だったからかもしれません。冬の登山行事のたびに一緒に置いていかれ、泣きながら一緒に山を登った子だったからかもしれません。


でも、そこで笑うしかなかった私が怖くて。ゲラゲラと笑うクラスメイトが怖くて。お腹を下した自分の担任児童を笑う先生が怖くて。


私はクラスの中で孤独を感じるようになりました。


なぜこのクラスに馴染めないのだろう。どうして私は先生のことを面白いと思えないのだろう。


どうしてこうなった、という思いが笑いながらも常にありました。常に学校の中で、外の優等生の自分と、中でそんな自分に違和感だらけの自分の板挟みで、自分の思いを母親に叫んで一人でうずくまる勝己くんが、寂しげなのにとてもかっこよく見えました。


一人になってもいい。どうしてあのとき、あんなことを言ったの。どうしてみんなそんなに笑えるの。何がおかしいの。


そうやって叫ぶ勇気が欲しかったのかもしれません。


当時私の家にインターネットはつながっていなくて、私は山田くんの情報はテレビくらいしかありませんでした。アイドル誌を買うという認識(というかアイドル誌を知らなかった)はなく、1ポンドの福音が最終回を迎えたその後私は山田くんのなんの情報も持たぬまま春になり、私は中学生になりました。



そして、登校前に見る朝のめざましテレビでHey!Say!JUMPが北京五輪予選のバレーボールスペシャルサポーターに就任すること、山田くんが古畑中学生に主演をすることなどの情報を得るようになりました(多分意識するようになったから)。


そして、仲良くなった友達がジャニーズに詳しくてアイドル誌を読むようになり、CDを買うようになりズブズブとジャニオタの沼にはまっていきました。


そんなこんなで出会って10年目。はまって9年目。ここには書いていませんが、今後私は山田くんに人生の手綱を握られて生きることになります。


これからもゆるくジャニオタとして、山田くんを応援していきたいと思います。