七竈の食器棚

徒然なるものを竃につめこんで。

勝己くんが、私の光になった話

初めまして。七竈です。


コンサートには行かない(行けない)、CDはお金に余裕があったら買う、

雑誌は基本よほど気に入ったら買う、



というお前それでオタって名乗るなよと石を投げられそうな感じのスタンスのジャニオタでございます。


「オタじゃないというにはちょっと知識量豊富すぎるで自分。」と言われそうな熱量で、担当や推しなモノについて語る部分がありますので、ジャニオタと一応名乗っております。お前ジャニオタって認めねーわな人はどうぞこのブログからUターンしてくださいませ。






さて、私がなぜこのブログを書こうかも思ったか。


ただ単に担当と出会って10年目になるからでございます。


10年ですって。10年ですって……。


と、自分で衝撃を受けたのではまったきっかけをふと記録をしてみたくなった、というのもあり今筆を進めるならぬ、指をすべらせております。




私の担当。それは、もうツイッターで見られた方はご存知でしょう。


Hey!Say!JUMPの、山田涼介くんでございます!!!!ああかっこいいよ山田さん!!美しいよ!麗しいよ!!まぶしいよ!!存在してくださるだけでありがとうございます!!!!




というノリで応援するようになって9年目の夏でございます。はい、知ってから10年目ですが応援は9年目です。ややこしいですね。




そんな私が山田涼介くんを知ったのは、10年前の夏。祖母が毎月買ってくれる、今はなき学年誌「小六」のジャニーズページでした。


当時私は、KAT-TUNのファンでした。私の母は野ブタからの亀梨オタで(今もです。今も熱狂的に亀梨くんを愛しております。ですが自分のポリシーで、コンサートには行かないオタでございます。私のジャニオタスタンスのルーツは間違いなく彼女です)、その影響でKAT-TUNを応援しておりました。


KAT-TUNの当時のツアー「TOUR 2007 cartoon KAT-TUN Ⅱ You」のレポート記事を読んでホクホクしてページをめくったところ、とんでもない衝撃を受けました。


え、なんか女の子がいるっっ!!めっちゃ顔の綺麗な女の子がいる!!


……探偵学園Qの役作りのため、髪を伸ばして写っていた当時14歳の山田涼介くんでした。いや女の子って書いたら知念くんでしょと思われたかもしれません。実際出会いについて語ったら勘違いされました。うん、知念くんあの頃からめっちゃ可愛いわ。たしかに天使だわ。でも当時11歳の私はガチで山田くんを女の子と見間違えたのでございます!!!


その記事は、KAT-TUNのそのコンサートで結成が発表されたHey!Say!7というユニットの紹介記事でした。そう、旧Hey!Say!7です。私は「二個上の人ばっかだー」と少しだけ年齢が上の彼らがアイドルとしてCDを出すことに衝撃を受けておりました。


そして世間の同世代が探偵学園Qにはまり、山田涼介くんが世に知られていく中、私はちょっと気になる存在として山田くんを覚えただけでした。


……はい、当時探偵学園Q、見ていませんでした……。のちにあれほど後悔することになるとは……。気になっておきながらなぜ見なかったのか。いや本当に自分でも疑問です。


たぶん、当時そこまでドラマに執着していなかったのだと思われます。初代イケパラも、たまたま見て面白かったのと周りが見ていたのとで途中から見た覚えがあります。その次クールにあった有閑倶楽部は、当時KAT-TUNメンバーだった赤西くんが主演していたこと、学年のリーダー格女子が赤西ファンでなんとなくお話しできるように見た覚えがあります。原作と違うwwwと母と笑いながら。(全巻家に有閑倶楽部があります。)


その後、山田くんを気になると思いつつも周りがはまっていく中、私はゆーるりと母が応援するため亀梨くんにキャーキャー言ってました。たまに赤西くんにキャーキャー言ってました。Hey!Say!7がHey!Say!JUMPになり、デビューし、年末の歌番組の時期になってもそうでした。この時はまだ、Hey!Say!JUMPは常に母が動画を編集するときにバッサリ切り落とされていました。今思えばなんてもったいない。


私が山田くんに堕ちたのは、ドラマ「1ポンドの福音」の時でした。彼の存在を知ってから半年後です。周りが堕ちていく中、少し遅れて堕ちました。演技で堕ちました。いじめられっ子な勝己くんに、自分を重ねて泣き、堕ちました。



ここまで書くと私が当時いじめられていたみたいになりますが、いじめられてはいませんでした。ですが、クラス内が居心地悪すぎて、ニコニコ作り笑顔を貼り付けているクラスメイトが怖かった頃ではありました。



当時私は年末のテレビ雑誌で、亀梨くん主演の「1ポンドの福音」に、山田くんが出ることを知りました。あーあの女の子みたいな……と思って写真を見たときには、髪は短くなっていて「あ、男の子なんだな」と感じました。


母と共に1ポンドの福音を見る土曜日がやってくるたび、私はクールな勝己くんを目で追うようになりました。


いかにも優等生という感じの勝己くん。


上靴にいたずらされる勝己くん。


掃除を一人押し付けられて、放棄しようとするも結局やりきってしまう勝己くん。


……正直、自分を見ているような気がしました。このころはそんなことなかったはずなんですけど。この頃の記憶にはありませんし。


当時、というか小〜高校入学まで私は優等生を演じていました。また書くかもしれませんが、母の指示で優等生をしていました。登下校では近所のおじさんおばさんに挨拶し、学校でも先生に挨拶し、テストは常に満点、特技はピアノ、班活動では班長に多数決で決まり……など優等生なお嬢様というテンプレートをこなしていました。お嬢様でもなんでもありませんが。(たぶん母はお嬢様のように育てたかったのかもしれません。名残はありますが残念ながら逆効果でした。)


先生からも何かするときに頼まれるような優等生を演じていたせいか、気付けば掃除も班の中で一人やっているということが多かったです。周りを見ていなかったというのもあるかもしれません。


この時のクラスではありませんでしたが、毎年モノ隠しに遭いました。上履きがゴミ箱から出てきたり、帽子がなくなって探しに行けば校舎内の池に捨てられていたり、雑巾を留める洗濯バサミがなくなればベランダの外に落とされていたり。(洗濯バサミ落としはかなり長い間続きました。未だになぜ洗濯バサミだったのかわからない)


子どもの頃ならよくあることでしょうけれど、少なからずこのようなことに傷ついてきました。これらは全部小出しでしたので、よく漫画にあるような一気にネチネチ続くようないじめはありませんでした。でも地味にダメージ来ますね。あとこれの全部だれがやったのか未だに私はわからないのが怖い。親は把握してるらしい。なんで親がわかって私は気づかなかったのか。怖い。


それは置いておいて。


1ポンドの福音は、減量が苦手なボクサーが優しいシスターに一目惚れして振り向いてもらうために頑張るというラブコメディー。山田くん演じる向田勝己くんは、亀梨くん演じる畑中耕作というボクサーが通うボクシングジムの一人息子で、ドラマオリジナルのキャラクターでした。


全然私と共通点はないはずなのに、私はもうドラマの本筋のラブコメディそっちのけで山田くんだけを目で追っていました。


途中でジムのメンバーにいじめられていることがバレて口止めする勝己くん。お母さんにいじめがバレて「情けない」と言われて家を飛び出す勝己くん。


一人戦っている彼を見て、12歳の私は泣いていました。いじめられてはいなくても、クラスでどこか疎外感を感じていたからかもしれません。中学生という立場が近づいてきて、不安だったからかもしれません。でも、私は遊具の中でうずくまっている勝己くんを見て、私みたいだとなぜか思ったのでした。


私のクラスは、当時卒業に向けて思い出作りしよーねーという感じで、残りの日数を全力で楽しむ!という感じがありました。ですが、私はそこにどうしても違和感を感じていました。


当時のクラス担任は、楽しければなんでもいいという感じの人で、子どもをいじったりすることにも躊躇しませんでした。ギターを持ち込み、奥田民生を流し、弾き歌いをし。


彼の事務机を、彼を慕うクラスメイトが取り囲んで先生が楽しそうに歌っているのが日常。その前の年の私なら、きっと楽しそうでいいクラスなんだろうなと感じていたでしょう。感じていました。4月になってその先生が担任と知り、とても喜びましたから。


私は、その輪にはいませんでした。


入れない、というよりは入らなくなりました。


入る隙がなくてが理由なのか。その輪に入る資格がないとわかったからか。私はクラスの隅で仲のいいメンバーとだけいました。


どこか先生を中心にみんなで笑おうという空気について行けなくて。なぜついて行けなかったのかは、当時の自分はわかりませんでしたが、どこか嫌悪感がありました。


一番ついていけない、となったのは、あるクラスメイトがお腹を下してしまった時のことでした。


あまりにもお腹がしんどくて保健室に行ったそのクラスメイトの席に近づいて、その先生は言ったのでした。


バキュームカーみたいな臭いがするな」


そう言った途端、いつも先生の周りを囲むメンバーがドッと笑い、それにつられて笑っていく笑いの連鎖。


側から見たら、とても楽しそうなクラス。先生が面白いことを言って、クラス内が笑いで包まれている様子。


それは、私にとってクラスが地獄に変わった瞬間でした。


ふとクラス内を見回して、私の仲良しメンバーが笑っているか確認しました。無理やりその子たちが口角をあげているのがみえたとき、私もそっと口角をあげました。口から出たのは、他のみんなとは違う、乾いた笑い声でした。


保健室に行ったクラスメイトが6年間一緒のクラスメイトで、同じように運動会のたびに邪魔者、貧乏くじ扱いされてた子だったからかもしれません。冬の登山行事のたびに一緒に置いていかれ、泣きながら一緒に山を登った子だったからかもしれません。


でも、そこで笑うしかなかった私が怖くて。ゲラゲラと笑うクラスメイトが怖くて。お腹を下した自分の担任児童を笑う先生が怖くて。


私はクラスの中で孤独を感じるようになりました。


なぜこのクラスに馴染めないのだろう。どうして私は先生のことを面白いと思えないのだろう。


どうしてこうなった、という思いが笑いながらも常にありました。常に学校の中で、外の優等生の自分と、中でそんな自分に違和感だらけの自分の板挟みで、自分の思いを母親に叫んで一人でうずくまる勝己くんが、寂しげなのにとてもかっこよく見えました。


一人になってもいい。どうしてあのとき、あんなことを言ったの。どうしてみんなそんなに笑えるの。何がおかしいの。


そうやって叫ぶ勇気が欲しかったのかもしれません。


当時私の家にインターネットはつながっていなくて、私は山田くんの情報はテレビくらいしかありませんでした。アイドル誌を買うという認識(というかアイドル誌を知らなかった)はなく、1ポンドの福音が最終回を迎えたその後私は山田くんのなんの情報も持たぬまま春になり、私は中学生になりました。



そして、登校前に見る朝のめざましテレビでHey!Say!JUMPが北京五輪予選のバレーボールスペシャルサポーターに就任すること、山田くんが古畑中学生に主演をすることなどの情報を得るようになりました(多分意識するようになったから)。


そして、仲良くなった友達がジャニーズに詳しくてアイドル誌を読むようになり、CDを買うようになりズブズブとジャニオタの沼にはまっていきました。


そんなこんなで出会って10年目。はまって9年目。ここには書いていませんが、今後私は山田くんに人生の手綱を握られて生きることになります。


これからもゆるくジャニオタとして、山田くんを応援していきたいと思います。