突然だが「ヴァンパイア・ラブストーリー」シリーズについて語らせてくれ。
タイトル通りです。
私は、ポプラ社刊行の名木田恵子さん作・挿絵かやまゆみさんの「ヴァンパイア・ラブストーリーシリーズ」が大好きだ!!!!
……これはおそらく、いや間違いなくマイナー作品だ。なぜなら、児童書であり、全4巻しかないからである!!!このしょっぱなに貼ってある表紙画像全部しかない!!
本来なら、名木田恵子さん作、挿絵かやまゆみさんのコンビが「ふーことユーレイ」シリーズに次ぐくらいの長編シリーズになったであろうこの作品は、諸事情、というか悲しい事情で4巻で完結しています。
amazonの紹介文に至っては、この4巻は「突然の最終章」と書かれているくらい唐突に終わっています。伏線も全部回収されず!!(それはあとがきで名木田先生も謝罪なさってました。)
私がこの本を読んだのは、小学4年生の時。初めて行った隣町の大きな図書館の児童書コーナーに、3巻だけが置かれていました。タイトルが気になって「1と2は借りられてるのかなー」と図書館の蔵書検索をしたところ。まさかの、"書庫の中"でした。Why Japanese people!? なんでまた1と2だけ書庫!?逆にめっさ気になるわ!!と出してもらって3巻まで借りたのが沼の始まりでした……。
全巻欲しいのですが、児童書のうえに絶版であるため非常に手に入りづらくとても苦しいのです。が、一年に何度かどうしても読みたい熱が上がるのです。すみません、ガンガン語ります。長文出まくります。
あわよくば復刊しないかなとも願いを込めて愛を語ります。
がっつり語るのでネタバレしまくってます。それが嫌だという方はUターンなさってください。
沼に落ちたきっかけ①
ホントに児童書ですか!?ってほど濃ゆい設定
まずそれを語るためにはあらすじから説明しなければいけません。
1巻の舞台は、2003年の日本。ある私立中学に通う、樹音という女の子が世話をしていたバラ園の"赤いバラだけ"が全部盗まれたところから始まります。樹音はバラを育てる名人で、とても美しい赤いバラが学校のバラ園で咲き誇っていました。落胆すると思いきや、樹音は自分でも分からないのに「見つけてくれたのね……」とつぶやきます。誰に見つけてもらったのかわからない。でも、なんだかホッとしているしとても嬉しい……。
その後、樹音はバラ園で黒髪のとても美しい男の子と出会います。その瞬間に、倒れてしまうのです。
しかし、樹音は次に目覚めるまでに夢を見ます。……それは、自分の前世、そして樹音が本当は何者かということを思い出す、"過去の記憶"の夢でした。
樹音は、本当は地図にももう残っていないヨーロッパの小国"ディアドラ"に住む、"アンジュネリー・ブランシュ"、通称・ジュネいう女の子。その国で、王子ジルベール、通称・ジルと恋に落ちます。
しかし、ジルの兄・バルトレッド(訂正2019.12.28)によるクーデターが起き、ジルはヴァンパイアにされます。ジュネもわずか15歳で命を落としました。
その後、呪術使いの祖母・メリッラがジュネの肺に植えた"ディアドラのバラ"によりジュネはどの時代、どの世界でも永遠に転生できることになりました。
ジュネは転生先でバラを吐き、吐き尽くしたら命を終える。また、吐き尽くさなくても13年でその命を終えてしまう。ジルは完全なヴァンパイアにならないために、人の血を吸わないことを誓い、ジュネが吐くバラだけを食べることを誓います。
転生したジュネを追いジルは時空の旅に出て、転生先でまたジュネと出会い……と二人は転生先で出会うことで永遠に恋人でいられるという運命にあるのです。そしていくつもの時代を巡り巡って、2003年の日本に生まれたのでした。
……そう、ジュネが倒れる前に出会った黒髪の男の子は転生したジュネを追ってきた恋人であるジルだったのです。
……いやこの時点でめっちゃ濃ゆい!!
児童書なのか本当にこれ。私が転生を知ったのはこの作品からです。
バラを吐く!?それを食べるヴァンパイア!?永遠に転生!!?と今思ってもかなりすごい設定。
……ちなみにこの永遠の転生ループは、ジルとジュネが転生先で出会えなかったら終わりだったと思いますたしか。だからジルも必死で孤独な時空の旅に出てジュネを追いかけるんだったはず。ジュネは転生先ではジルと出会わない限り、自分が"アンジュネリー・ブランシュ"であり、"ジルの恋人"であることを思い出せません。
……切ない!!ジルは転生先のジュネに出会えなければ、自分のことを思い出してももらえないんですよ!!しかも出会えなければジュネと会えない、孤独な永遠の時を過ごさないといけないんですよ!!
話それるけど今思えばこれめっちゃ「前前前世」の歌詞とマッチする。
君の前前前世から僕は 君を探し始めたよ……
ダメです歌詞読んだだけで泣きそう。(勝手に泣け)ちなみにジュネがディアドラで死んだのは、1337年の設定。一巻の舞台は2003年なので、666年後です。
……666という数字に反応した方はいらっしゃいますか?私は読んだ当時は一つもピンときませんでした。むしろこの本でその数字が不吉と知りました。
「666」という数字は、キリスト教や聖書の中で不吉な数字なんだそうです。悪魔の数字とも言われます。聖書「ヨハネの黙示録」の中に登場する獣の数(キリスト教に対する敵の数)が666なんだそうです。これが、この物語にも関係してきます。
沼にはまったきっかけ②
時空を超えた三角関係
先ほど、あらすじの中でジルの兄・バルトレッドがクーデターを起こしてジルをヴァンパイアにしたと書きました、実は、このバルトレッドはジュネの祖母・メリッラの弟子であり呪術も使える人間で、兄である自分よりも父である王に愛される弟・ジルを憎んでいました。かつ、彼はジュネのことを密かに愛していました。バルトレッドとジュネの出会いは2巻に詳しく書かれていますが、バルトレッドがジュネに執着している様子が事細かく書かれています。(ぶっちゃけその様子は怖かった。)
バルトレッドがクーデターを起こしたのは、ジルに王位を奪われるかもしれないという恐れと、ジュネを手に入れるためでした。そして、呪術を使って悪魔を目覚めさせ、ディアドラを思い通りに支配しようとしていました。ですが、ディアドラの教会の鐘に封じ込められた悪魔の封印を解こうとした際、それを防ごうとしたジルを殺そうとして……。それを庇ったジュネ。バルトレッドは、勢いを止められず想い人を間違って刺し殺したのでした。
その後ジュネの遺体をメリッラに持って行って生き返らせようとするバルトレッド。相当バルトレッドはジュネを好きだったんだと思います。(そんでもってジルは悪魔によりその間ヴァンパイアにされました。)
が、あらすじに書いたように生き返ったジュネはメリッラの手により転生の旅に。バルトレッドもそれを追って時空の旅に出ます。想い人を今度こそ自分のものにするために。
この物語は、転生するジュネと、それを追いかけて時空を旅する二人の男の三角関係も描いてるのです。
1巻でジルとジュネが出会ったあと、バルトレッドは臨時教諭として二人の前に現れます。2003年は、この3人の時空の旅が始まって666年という、悪魔的な節目の年。さまざまな時空の歪みにより、今までうまくいっていた転生にも影響が出始めており、かつレッドバルトの手下である悪魔たちが強力な力をつけていたのでした。そして二人はバルトレッドにより引き裂かれ、バラを吐き尽くしたジュネは死に、その遺体はレッドバルトに奪われたのでした。
改めてなんだこの濃ゆい児童書。
沼にはまったきっかけ③
本当に突然すぎる終わり
1巻「バラのしるしは愛の言葉」は日本を舞台にしたこのシリーズの始まり。
2巻「恋の予感はバラの香り」はなぜジルとジュネ、そしてレッドバルトは時空を超えた旅をしているかを詳しく振り返り。
3巻「愛を探してバラの迷路」は666年という影響が出始めた時空のループの中で、転生ではない形でジュネは古代ギリシャに飛びます。
3巻まで一気に読み、私は慌てて次を読み漁りました。
4巻「バラの耳飾りは恋のきらめき」
この巻の舞台は、革命が起こり、ルイ16世が処刑された直後のフランス。ジュネは無事(?)転生し、貴族の娘になっていました。そして、義理の父の命令により、バルトレッドと結婚することになっており……という始まり。
ジルと無事出会えたジュネですが、ジュネの中でまだバラが育っておらず苦しむ2人。そこに呪いのローズカットのダイヤのイヤリングがこの物語の中で複雑に絡み合い、さらに複雑なこの4巻。
ドキドキしながら読み進めていくと……。
呪いのダイヤをジュネが飲んで、バラが急速に育ちジュネがバラを吐きます。……が、なんかおかしい。
バラを吐き尽くしたからジュネが死んでしまうのはわかります。が、それにしてもなんかジュネの死ぬ様子がおかしい。『闇に堕ちる。違う、もっと、深い闇……。』というジュネのモノローグ。冷たくなっていくジュネを抱き抱え必死で呼ぶジル。それを奪おうとするバルトレッド。
「せめて!せめて最後に息のあるうちにこの胸に!!!」
と叫ぶバルトレッド。え、待ってなんでこんなに必死なの……!?次の転生で会えばいいのでは?と思いながら嫌な予感が。あとがきまで読み進めていくうちに……。
「書きたいことはたくさんありましたが、ここで終えることにします。」
……挿絵を描いていた、かやまゆみさんが、病気で亡くなられたのでした。
名木田恵子さんとかやまゆみさんは、この「ヴァンパイア・ラブストーリー」シリーズの前の、「ふーことユーレイ」シリーズで長年コンビを組んで作品を作っていらしたそうです。そして、「ふーことユーレイ」が完結し、「ヴァンパイア・ラブストーリー」が始まったのですが、かやまさんが病気になられたのでした。4巻の挿絵や表紙は、かやまさんが入退院を繰り返しながら描かれたそうです。
名木田さんもかやまさんの死にショックを受け、かつ、かやまさんの絵以外でのこのシリーズが考えられない、という決断でこの物語は突然、終わってしまったのでした。
非常にショックを受けた終わりだったものの、このシリーズはのちのちの私に大きな影響を及ぼしました。(いろんな意味で)
まず、永遠の時を生きるヴァンパイアという存在をこの本で知りました。血を飲まず、愛する人が吐くバラを食べ、そのために口づけを交わすヴァンパイアのジルとその恋人のジュネに憧れました。ジルが特殊なヴァンパイアだというのは重々承知ですが、ついヴァンパイアと聞くとこのジルを想像します。
宝石に興味を持つようになったのもこのシリーズからです。特にイヤリング。ピアスをつけないのも、イヤリングが好きだからかもしれません。いつかお金が貯まったらローズカットのダイヤのイヤリングを買おうと本気で決めています。
また、何事にも終わりは突然やってくるのだとこの本で知らされました。人は必ず亡くなり、永遠なんてないことも。
……他にもあるんですけどね、影響。でも一番の影響は。
性癖に影響出すぎました。
・禁断の恋
・三角関係
・転生
・永遠の愛
……がっつりこの本で目覚めました。キスのこと、口づけって書きたがるのもたぶんこの本からです。あと黒髪の美少年見ると「……ジルみたいなかっこさせたいな」となります。だいぶ危うい。
私はその後、何度もなんどもこの4冊を借りまくり、書庫にしまわれてた1巻、2巻を普通に本棚に並べてもらえるようにまでなるまで借り(どんだけ借りたんでしょうホント)、読みまくりました。このことを友人に話したら「じゃあまたその性癖に目覚める子が何人も生まれてるわけか七竃のせいで……」と言われました。でも面白いんだよ……。
最初に書いたように、この本は絶版しているので手に入れるのが難しいです。あったとしても一冊が安くても4000円したりします。高くて20000円でした。ひい。
もう一度その図書館に借りに行くしか、ほぼ方法はありません。
……ないでしょうけど、復刊しないかなあ……と思いながら約10年が経ちます。しかし、誰に話してもこの本のことを知らない人の方がやはり多いため、知って欲しくて思いのままに書いてしまいました。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
願わくば、名木田恵子先生、ポプラ社のみなさま、そして、故・かやまゆみ先生のファンの方や関係者の方に届きますように。
(追記:2023.4.8)
そしてもしよければ、ここまで読んでくださった方にこちらの復刊ドットコムをぽちっとしてもらいたいです…。多くの方にヴァンパイア・ラブストーリーを読んでもらいたいです。よろしくお願いします。
↓↓↓
『ヴァンパイア・ラブストーリー 全4巻(名木田恵子)』 投票ページ | 復刊ドットコム
マザーブックスに浪費する女
最近私がハマってる本があります。
劇団雌猫さんの「浪費図鑑」です。
これ、昨年の冬コミで話題になった同人誌「悪友〜浪費〜」という本が商業作品になったものなんですね。私はこの「悪友」をツイッターの二次元垢で知りました。綿密なアンケートに、出てくる浪費話がまあ濃ゆい濃ゆい。私も趣味で浪費しまくってるのですが、本当に濃ゆい。私の浪費なんかちっぽけだなと思うくらいです。……それでも浪費は浪費なんですけどね!!
で、この本を読んでから私は何に浪費してるだろうと考えるようになって。
一番はアイドルかなと。かかる単位が違うし。でも全部買ってるわけではない。
次は雑誌。でもずっと買ってた雑誌を最近買うのやめたしなあ。
漫画?確かに買ってはいるけどどうだろう。
コスメ。プチプラばっかだなー。
……と考えてるうちに気づいたことがあります。自分語りですが、劇団雌猫さんの浪費図鑑風にそれについて語ります。
「マザーブックスに浪費する女」
皆さんは絶対これはこの会社の商品しか買わない!!っていうのはありますか。私は、あります。できる限りそこで買うようにしているというものがあります。
それは、本や雑誌です。私は大学の最寄駅の近くの「マザーブックス」という本屋でしか、基本雑誌や本を買いません。チェーン店ではない本屋です。絵本コーナーが広目にとってあり、雑誌、漫画、文庫本、カバンやポーチがつくムック本も多数取り揃えてある本屋です。最近は封筒や文房具なども多く置くようになりました。できたのは私が大学に入学した春。別の場所にあった店舗が移転してきて、その場所にあるそうです。
特定して利用しているといってもここ一年半くらいのことで、それ以前も利用していましたが、こだわるようになったのは昨年の2月からです。
その時私は、実習中の身でした。ある資格を取得するために決められた場所で実習していたのですが、その帰りにiPhoneが動かなくなりました。私は家が厳しく、乗る電車の時刻もしっかり言うように言いつけられています。電話もLINEもメールもできない。しかも実習先の仲間たちとの発表の日も迫っていて、家に帰ってからの打ち合わせも話し合いもこれではできない!!近くのauショップに駆け込まないといけない!!(当時私はauキャリアのiPhoneだった)
が、場所が分からない!!!
私はよほど気が動転していたらしく、その本屋の地図コーナーに行ってその市町村の地図帳を見ると言う行動に出ました。今思えばなぜわざわざ地図帳見に行ったのか。国道とか高速道路くらいしか載ってないのに。「どうかしてるぜ!!」と私の中のブラマヨ吉田が叫んでる。実際地図見てもさっぱりわかりませんでした。15分ほど格闘し(長い)とにかく困り果てた私は、レジにいた顔なじみのある、店長さんに言いました。(すでに店長さんは挙動不審な私をめっちゃ見てた。)
「申し訳ありません、近くのauショップの場所を教えてもらえないでしょうか……。」
なぜそうなったの経緯を説明し、店長さんがレジにあるパソコン(本の注文のために検索するためにあります。)で検索してくれました。幸い、カメラ機能は生きていたので地図の写真を撮らせてもらおうとしたら。
「小さくて見辛いでしょー。プリントアウトしますよー。」
と、プリントアウトしてくださったのでした。めっちゃお礼を言って、auショップに駆け込めたのでした(結果的には買った店に行かないとわからないということだったけれども)。
その後、私はなんとか実習を終え実習の帰りに本屋さんに寄りました。すると、店長さんが「ケータイどうなりました?」と。無事修理できたことを伝えると「よかった、気になってたんですよ。あの時泣きそうになってたでしょう。」と。
店長さんはあの時本当に救いの神だった。それ以来私は、その店長さんさんに恩を感じ基本的に本や雑誌はそこで買うようにしている。その本屋に欲しい本がなければ注文し、あれば買う。母の探していた亀梨くんの本も、山田くんが載った雑誌も、自分の好きなマンガ、小説もそこで買っている。好きな雑誌もそこに置いているので買っている。卒論の資料となる雑誌も、就職のための本もそこで購入してきた。……総額は計算したくない。
だが、それもあと残り半年ほどだ。私はあと半年で、大学を卒業する。就職先は地元なので、その本屋に行くことはほぼなくなることが確定している。実際、店長さんにも「今年でもう卒業かー。就職活動やねー。」と言われたり、就職が決まったことを報告したら「もうここには来なくなるのかー。さみしいねー。」と言われた。……たしかに、寂しい。なんならこれを書いている今、私は涙ぐんでいる。
本当に、よくその本屋を利用させてもらった。立ち読みしていてと注意されたことはないし(買えよ)、バスや電車の待ち時間ができるとその本屋に直行していた。「この本ありますかー。」と聞いたら、注文しなかったのに次に行ったら置いてあったことがあってなんだか嬉しかった(申し訳ないことに既に買った後だった。実習前の話だ)。先日も、集めた漫画の抜けている巻だけを注文したら次に行ったらその漫画のシリーズが全部揃えられていた(でも既に持っているんだ店長さんごめん)。布教用にその漫画を全巻買いたいが、経済的にそれを行なったら立ち行かなくなる。それができない自分がとても歯がゆい。
今、街の本屋は次々と閉店している。この本屋には残っていてほしいと、ずっとそこで購入してきた。でも、その時間も後わずかだ。たくさんのものをその本屋で買ってきた。「わざわざその本屋で買わなくても」と友達に突っ込まれたこともある。別の本屋でのいい特典を無視して、好きな作家のカレンダーを注文したこともある。実習先のお礼の手紙の封筒や便箋も買った。友達とのプレゼント交換でのプレゼントもそこの本屋のアクセサリーコーナーで買った。特典を無視しても、家からの距離も無視しても、私はその本屋にこだわり続けた。人は私をバカだと言うだろう。でもバカでいい。そう言われてもいい。
あの寒い冬の日、私は本当に店長さんの対応が嬉しかったのだ。本屋さんで、本を買うこと以外でこんなことがあると私は思いもしなかった。結果的にケータイは駆け込んだ店では治らなかったけれど、私は十分満足した気分だった。ケータイが壊れて不安だったが、とても暖かな気分で帰路につけた。だが、そのお礼の購入も、あと少しだ。
その本屋で最後に買おうと決めているものがある。大好きな漫画「黒子のバスケ EXTRA GAME」の後編だ。発売後購入しないまま、気づけば一年以上経つ。結末も知っているが、なんとなく買えないでいた。
早く読みたい気もする。でも、永遠に買える日が来ないで欲しいと思う。でもその日は確実に近づいている。私はそれを数えることを無視しながら、今日もマザーブックスで本を買う。
自担に命日を伸ばされた話
こんにちは、七竈です。
あいも変わらずゆるりゆるりとしてるジャニオタです(一応)。
さてまたなんとなく語りたくなったので書きます。
はい、タイトル。
「自担に命日を伸ばされた話」
……はい?ってなりますよね。でも私はタイトル通り山田さんの活躍で生きることを伸ばしたのです。
というか山田さんの大きな仕事が入るたびに、「今ここで死ねへんわ!!!」となって日々を過ごして……気づいたら今に至ってます。
さて私が山田さんの活躍で生きることを決めたのは、2009年の話です。
NYCboysの結成が発表され、横浜アリーナで連続コンサートをやり、ファースト写真集が発売されるもシングル出ねえええええ!!!ってなったあの年です。スクール革命!開始の年でもありますね。
私は当時、中学二年生でした。中学二年生という年は、私の住む地域ではとても大きな意味があります。
高校受験でよく聞く内申点が、私の住む都道府県では中学二年生から数えられ始めます。中学二年生の1年間の成績と、中学三年生の1、2学期の成績で内申点が決まり、高校入試の受験校を決める基準になります。
ですから、教育熱心な家庭で育てられる子どもは自然と中学二年生から目の色を変えるようになったりします。学習塾、先生方もそうです。
私はというと、どちらかといえば教育熱心な家で育ちました。いや、カナリですかね。私はそれが当時普通だと思っていたので、自分の家が他と比べてどうだったのか当時はわかっていませんでした。
でも当時のことを語ると大体の友人にドン引きされます。
「最低でも△△高校(県で4番目に偏差値が高い)に入学しないと家から追い出す」と母に中一の終わりに言われたのが、私の中学の黒歴史の始まりでございます。
母が△△高校を基準にしたのは、その一つ上の高校が母の母校であり、私が小学生の時に戯れで友人と行きたいと言っていた高校だったからでした。
ちなみに当時その友人とはすでに疎遠になってました。目も合わさない言葉も交わさないほどでした。進路に関する下手なことは親の前で言わないほうがいいと本気で私はこの時に学びました。
中学二年生になり、私は元から制限されつつあったものがさらに制限されるようになりました。
マンガ、ゲーム、テレビ、友人と遊びに行くこと……。
母はインドアな人であり人付き合いも苦手なほうです。(これは父もです。)それどころか、友人が多くいればいる方が悪とすら思ってる傾向があります。
「○○ちゃんは土日は**さんたちと遊んでるんですって。そんなことしたって無駄に体力使って勉強できなくなるだろうし、危険にもあいやすいのに。」
こんな感じでした当時。危険にもあいやすいというのは、昔私が遭遇した事件から不審者情報にとにかく過敏になってるからだろうとは推測つきました。が、基本トゲトゲしてるのと機嫌を損ねたら面倒だと私は従っておりました。
漫画とゲームは購入することは禁止、テレビを五分でも見てたら「そんなことしてる暇があれば上に行って勉強しなさい。」と怒鳴られます。
見ていいテレビは、Hey!Say!JUMP、NYCの映像、山田くんのドラマ(どちらもCM、他の出演者の部分が編集済み)。
唯一購入を許されたのはduetのみ。(母の推しのKAT-TUNも載ってるから)
……さて、私がこのような生活になりどんな中学生になったかというと。
ジャニーズのことしか話せない、妙に座学の成績だけいい中学生でした。(それでも当時は劣等生と思ってましたまじで。なんせテストのたびに怒鳴られてましたので)
ジャニーズ以外の芸能人は、「顔と名前は一致するけど動いてるとこは見たことない」でした。まじで。
話題の映画もドラマも、ポスターや雑誌の宣伝で静止画だけなら知ってる(でもアイドル誌に載るものだけ)
ゲームも広告で載ってるものだけ。
漫画もわからない。
ドラマも知らない。
映画も知らない。
歌手も、俳優も、ゲームも、漫画も、何が好きと聞かれても知らない。
好きなアイドルは、ジャニーズ。それも当時のHey!Say!JUMP。時代は今もですけど、嵐の時代。
……周りの話についていけなくなっていきました。そしてちょっとでもついていきたくて、嵐のことには詳しくなりました。数少ない友人に嵐オタがいたのもありました。
そしてKAT-TUNオタの母がいたため、少なくともジャニーズの話だけはふられたらできるようにしよう!!と唯一触れられるメディアであるduetを貪るように隅々まで読んでいました。
はい、それで錬成されたのはやたら知識だけあるジャニオタでした。
……だいぶ気持ち悪い存在だったと思います。ジャニーズのことを振るとすごい勢いで喋り出すんですから。しかもメガネの基本仏頂面の優等生(周りから見たら)が。
実際去年小中高と一緒だった男子と話す機会があったんですが、「七竈さんってジャニーズだけ詳しい変な子やと思ってた」と言われました。ちゃんと話したら意外と普通やなと。
全力で思わず彼に言いました。
「当時許されてたのがHey!Say!JUMPのCM編集済みの映像たちとアイドル誌だけだったんだよお!!
うちの家ネット繋がってなかったんよ当時いい!!!!
まじで他のゲームや漫画やら知るすべがなかったのおお!!!」
……めっちゃ同情されました。パリピな元野球部生徒会長、意外と優しかったです。ごめんよ当時嫌ってて。
当時の彼の周りの私の評価、「ジャニーズ事以外はおとなしい優等生」でした。
優等生と思われてたこと知らなかったよ。全力で猫かぶってたもの、家庭の方針で。
さて少し脱線しましたが、このジャニーズだけに詳しい中学生がクラスでどんな立ち位置だったかというと、もうなんとなく察せられた人もいると思います。
スクールカースト最底辺でした。
大人しいし口答えもしなさそうな感じですし、小学校のメンバーから見たらよそ者だったためクラスに馴染めてませんでした。
先生にはめっちゃウケが良かったです。私の中学はめっちゃ中身が古いです、当時は特に。先生の言うことを聞く子がとにかく評価されてました。生徒会に入らないか勧められてました、一年生の1学期の時点で。全力で断ってましたが。
時が流れるにつれ、クラス内の個人の成績が出始めた頃。
私は影で「点数稼ぎ」とあだ名されていました。
私はよく、班長やなんやら、まとめ役を任されたり、先生に言われ提出物を集めたり配ったりすることをやってました。
内申点を必死に稼ぐいい子ちゃんと言う感じでした。実際面と向かって言われたことがあります。「媚びなくていいもんね、あんた普段からいい子ちゃんやもんね」と。
「成績を取るかどうかで今後家にいせてもらえるかどうか決まる」なんて、当時の私は言えませんでした。
私がそう言われるのに慣れ、クラス内で浮くのも慣れた頃。
クラスメイトかつ数少ない嵐オタの友人が、学校に来なくなり始めました。2日に一度、部活だけ顔を出す、というような感じになりました。
理由はわかりませんでした。聞けませんでした。無理やり聞き出すことで、人の心を抉ることがありますから。というか聞くすべを私は当時持ってませんでした。(友人の家を当時知らなかったので……。)
もう一人の友人でありクラスメイトも学校には来るものの、ふさぎ込むことが増えました。
ただでさえスクールカーストの低い私たちが暗いと、まあジメジメして見えたと思います。
「お前らがいると暗いから学校来るなよ」とリーダー格たちに言われるようになった次の日。
もう一人の友人も、学校を休みました。
私は、その日ひたすら息をして静かに授業を聞いているだけでした。部活も休んで家に帰りました。
帰ってきた私に母が話したのはこんなことでした。
「おばあちゃんの家の近くのコ、(別のクラスの子のことでした)最近不登校なんですって。家の恥やんな不登校なんて。」「そんなの、世間様から何言われるかわからへんのに。」
息が止まりそうでした。ちょうど私は、仲のいい友人たちが最近休んでると言おうとした直後でした。
きっと私は、私たちは、永遠に人から理解されないんだろうなあ。
そう思ったのを覚えてます。
その日は塾がありました。不登校を恥という親が熱もない娘を休ませるはずがありませんでした。
私は幼稚園の時に使ってたとっても太い縄出てきた縄跳びを輪っかにしてから、家を出ました。
塾の帰り道、母が袋を渡してきました。「もうKAT-TUNのとこは読んだから。はい。」
毎月必死に読んでいるduetでした。私は友人たちのショックで唯一の楽しみをすっかり忘れていました。
死ぬ前にduet読むことになるのかあ、まあ私らしいなあ……と思いながら縄跳びをカーテンレールにくくりつけ、ベッドに座ってduetを開きました。
そこで私はまたも息が止まりました。今度は興奮して。
山田くんが、24時間テレビのドラマに出演することが決まったという記事でした。2009年の24時間テレビのドラマ、錦戸亮くん主演「にぃにのこと忘れないで」です。
duetの中には、キラキラしたアイドルたちがたくさんいました。先に学校に来なくなった友人が好きな嵐の二宮くん。その日学校を休んだ友人が好きな当時NEWSの山下くん。
そして、私の大好きHey!Say!JUMPの山田くん。
キラキラとまばゆい彼ら。ニコニコと可愛らしい笑顔でページの中に収まるアイドルたち。
私はその翌日、初めて校則を破りました。その日は、運がいいことに友人二人とも、学校に来ていました。
放課後、基本的に誰も普段来ることがない特別教室(先に来なくなった友人が教えてくれました。彼女はいつからここで一人になるようにしてたのかと考えると辛い)の前で、手に入れたduetを読みながら3人でキャーキャー言いました。情報ページを見て、それぞれの担当のアイドルの夏のテレビ情報やらなんやらを、ノートの端っこにメモしました。
「よし!これを全部見るまでは死ねへんな!!私ら!!!」
そう言ったのは嵐オタの友人でした。
「せやな!!私は24時間テレビまで死ねへん!!」
NEWSオタの友人が言いました。
「私もや!なんてたって、私はバレーボールも24時間テレビもあるんや!Hey!Say!JUMPとNYCなんて二足のわらじきっついわー!!」
そう言って3人で大笑いして、泣きました。
さて私たちの命日ぼんやり決まってもーたなーなんて言って帰ったその後。
まあジャニオタにお休みなんてなく。
次々舞い込んでくる新しい情報に私たちは踊らされるようになりました。それぞれ違う雑誌をこっそりカバンの底に入れて持ち込んでページを交換し、担当の主演ドラマやバラエティが決まれば「また命日伸びてもーたわ!!」と笑い。
そうして、地獄やわと言っていた二年生が、気づけば終わっていました。私も、あれこれ「こいつ今すぐ階段から突き落としてやろうか」なんて思ったことがありながらも、成績はいい方で二年生を終えました。
「三年生になっても、こんな調子でごまかせるかなあ……。」と言っていた私たちでしたが、神様の思し召しか、さりげなく担任の先生や周りの先生がクラス内を見て察してくれたのか。
3人とも次の年も同じクラスでした。しかも、同じ部活で私以外の二人とも仲のいい二次元オタクの友人も一緒で、部活のヨンコイチなメンバーが揃っていました。
「生きてれば、いいことってあんねんなあ……。」と言ったのは、誰だったか覚えていません。でも、3人でいた時に誰かがポツリと言ったのを覚えています。
そして命日をジャニーズに伸ばされ続けた私たちは、三年生を比較的平和に過ごし、生きて中学校を卒業しました。
命日を伸ばし続けた私たちですが、今はというと連絡を取ることはほぼなくなりました。ですが、縋るようにしてジャニーズたちに食らいついていたあの日々よりも、それぞれが生きやすい場所に行けたということだなと感じています。
私は当時の母の言いつけや言葉にあった理由を知り、感謝はぶっちゃけしませんし恨みもたくさんありますが、自分の中で一区切りはつきました。
なぜ今これを書くかというと、単純に中学生が期末テストの時期だというのと、片付けをしていて当時の山田くんが出てきたからです。
成績やクラスのこと、親のことやたくさんのことに苦しむ人たくさんいるだろうなあと、ツイッターのTLを見ながら思うことがあります。
その度に思うこと。
「生きてれば、なんとかなる。」
しんどいのは、準備期間です。今の場所から抜け出す時の。そして力をつけて、抜け出せる日が来ます。
私はまだ抜けきってませんが、もうあの日々は過去になっています。
だから、もしこれを読んでる人で今の環境がしんどい人がいたら、これをして欲しいです。
※極限です。私はそれしかなかったからこれしか知らないのです。
「好きなものを愛せ!!愛して日々を過ごせ!!それを愛するうちに、時間は経ってる!!その愛があれば、生きていける!!」
私は縋るしかない環境にいたのもありますが、結果的に得たその時の思い出は、宝物になっています。
もっと、いい方法はあると思います。
でも、誰にも言えない、居場所がない、苦しい。
それなら、好きなものに対しその苦しみを倍にして、愛として渡してください。
全力で、好きなものを愛してください。
死んでしまったら、それを愛することもできなくなるのですから。
愛せるのは、生きている今なのですから。
さて、最後になりますが、叫ばせてください。
山田くん!!今日も全力で愛してるよ!!!!
勝己くんが、私の光になった話
初めまして。七竈です。
コンサートには行かない(行けない)、CDはお金に余裕があったら買う、
雑誌は基本よほど気に入ったら買う、
というお前それでオタって名乗るなよと石を投げられそうな感じのスタンスのジャニオタでございます。
「オタじゃないというにはちょっと知識量豊富すぎるで自分。」と言われそうな熱量で、担当や推しなモノについて語る部分がありますので、ジャニオタと一応名乗っております。お前ジャニオタって認めねーわな人はどうぞこのブログからUターンしてくださいませ。
さて、私がなぜこのブログを書こうかも思ったか。
ただ単に担当と出会って10年目になるからでございます。
10年ですって。10年ですって……。
と、自分で衝撃を受けたのではまったきっかけをふと記録をしてみたくなった、というのもあり今筆を進めるならぬ、指をすべらせております。
私の担当。それは、もうツイッターで見られた方はご存知でしょう。
Hey!Say!JUMPの、山田涼介くんでございます!!!!ああかっこいいよ山田さん!!美しいよ!麗しいよ!!まぶしいよ!!存在してくださるだけでありがとうございます!!!!
というノリで応援するようになって9年目の夏でございます。はい、知ってから10年目ですが応援は9年目です。ややこしいですね。
そんな私が山田涼介くんを知ったのは、10年前の夏。祖母が毎月買ってくれる、今はなき学年誌「小六」のジャニーズページでした。
当時私は、KAT-TUNのファンでした。私の母は野ブタからの亀梨オタで(今もです。今も熱狂的に亀梨くんを愛しております。ですが自分のポリシーで、コンサートには行かないオタでございます。私のジャニオタスタンスのルーツは間違いなく彼女です)、その影響でKAT-TUNを応援しておりました。
KAT-TUNの当時のツアー「TOUR 2007 cartoon KAT-TUN Ⅱ You」のレポート記事を読んでホクホクしてページをめくったところ、とんでもない衝撃を受けました。
え、なんか女の子がいるっっ!!めっちゃ顔の綺麗な女の子がいる!!
……探偵学園Qの役作りのため、髪を伸ばして写っていた当時14歳の山田涼介くんでした。いや女の子って書いたら知念くんでしょと思われたかもしれません。実際出会いについて語ったら勘違いされました。うん、知念くんあの頃からめっちゃ可愛いわ。たしかに天使だわ。でも当時11歳の私はガチで山田くんを女の子と見間違えたのでございます!!!
その記事は、KAT-TUNのそのコンサートで結成が発表されたHey!Say!7というユニットの紹介記事でした。そう、旧Hey!Say!7です。私は「二個上の人ばっかだー」と少しだけ年齢が上の彼らがアイドルとしてCDを出すことに衝撃を受けておりました。
そして世間の同世代が探偵学園Qにはまり、山田涼介くんが世に知られていく中、私はちょっと気になる存在として山田くんを覚えただけでした。
……はい、当時探偵学園Q、見ていませんでした……。のちにあれほど後悔することになるとは……。気になっておきながらなぜ見なかったのか。いや本当に自分でも疑問です。
たぶん、当時そこまでドラマに執着していなかったのだと思われます。初代イケパラも、たまたま見て面白かったのと周りが見ていたのとで途中から見た覚えがあります。その次クールにあった有閑倶楽部は、当時KAT-TUNメンバーだった赤西くんが主演していたこと、学年のリーダー格女子が赤西ファンでなんとなくお話しできるように見た覚えがあります。原作と違うwwwと母と笑いながら。(全巻家に有閑倶楽部があります。)
その後、山田くんを気になると思いつつも周りがはまっていく中、私はゆーるりと母が応援するため亀梨くんにキャーキャー言ってました。たまに赤西くんにキャーキャー言ってました。Hey!Say!7がHey!Say!JUMPになり、デビューし、年末の歌番組の時期になってもそうでした。この時はまだ、Hey!Say!JUMPは常に母が動画を編集するときにバッサリ切り落とされていました。今思えばなんてもったいない。
私が山田くんに堕ちたのは、ドラマ「1ポンドの福音」の時でした。彼の存在を知ってから半年後です。周りが堕ちていく中、少し遅れて堕ちました。演技で堕ちました。いじめられっ子な勝己くんに、自分を重ねて泣き、堕ちました。
ここまで書くと私が当時いじめられていたみたいになりますが、いじめられてはいませんでした。ですが、クラス内が居心地悪すぎて、ニコニコ作り笑顔を貼り付けているクラスメイトが怖かった頃ではありました。
当時私は年末のテレビ雑誌で、亀梨くん主演の「1ポンドの福音」に、山田くんが出ることを知りました。あーあの女の子みたいな……と思って写真を見たときには、髪は短くなっていて「あ、男の子なんだな」と感じました。
母と共に1ポンドの福音を見る土曜日がやってくるたび、私はクールな勝己くんを目で追うようになりました。
いかにも優等生という感じの勝己くん。
上靴にいたずらされる勝己くん。
掃除を一人押し付けられて、放棄しようとするも結局やりきってしまう勝己くん。
……正直、自分を見ているような気がしました。このころはそんなことなかったはずなんですけど。この頃の記憶にはありませんし。
当時、というか小〜高校入学まで私は優等生を演じていました。また書くかもしれませんが、母の指示で優等生をしていました。登下校では近所のおじさんおばさんに挨拶し、学校でも先生に挨拶し、テストは常に満点、特技はピアノ、班活動では班長に多数決で決まり……など優等生なお嬢様というテンプレートをこなしていました。お嬢様でもなんでもありませんが。(たぶん母はお嬢様のように育てたかったのかもしれません。名残はありますが残念ながら逆効果でした。)
先生からも何かするときに頼まれるような優等生を演じていたせいか、気付けば掃除も班の中で一人やっているということが多かったです。周りを見ていなかったというのもあるかもしれません。
この時のクラスではありませんでしたが、毎年モノ隠しに遭いました。上履きがゴミ箱から出てきたり、帽子がなくなって探しに行けば校舎内の池に捨てられていたり、雑巾を留める洗濯バサミがなくなればベランダの外に落とされていたり。(洗濯バサミ落としはかなり長い間続きました。未だになぜ洗濯バサミだったのかわからない)
子どもの頃ならよくあることでしょうけれど、少なからずこのようなことに傷ついてきました。これらは全部小出しでしたので、よく漫画にあるような一気にネチネチ続くようないじめはありませんでした。でも地味にダメージ来ますね。あとこれの全部だれがやったのか未だに私はわからないのが怖い。親は把握してるらしい。なんで親がわかって私は気づかなかったのか。怖い。
それは置いておいて。
1ポンドの福音は、減量が苦手なボクサーが優しいシスターに一目惚れして振り向いてもらうために頑張るというラブコメディー。山田くん演じる向田勝己くんは、亀梨くん演じる畑中耕作というボクサーが通うボクシングジムの一人息子で、ドラマオリジナルのキャラクターでした。
全然私と共通点はないはずなのに、私はもうドラマの本筋のラブコメディそっちのけで山田くんだけを目で追っていました。
途中でジムのメンバーにいじめられていることがバレて口止めする勝己くん。お母さんにいじめがバレて「情けない」と言われて家を飛び出す勝己くん。
一人戦っている彼を見て、12歳の私は泣いていました。いじめられてはいなくても、クラスでどこか疎外感を感じていたからかもしれません。中学生という立場が近づいてきて、不安だったからかもしれません。でも、私は遊具の中でうずくまっている勝己くんを見て、私みたいだとなぜか思ったのでした。
私のクラスは、当時卒業に向けて思い出作りしよーねーという感じで、残りの日数を全力で楽しむ!という感じがありました。ですが、私はそこにどうしても違和感を感じていました。
当時のクラス担任は、楽しければなんでもいいという感じの人で、子どもをいじったりすることにも躊躇しませんでした。ギターを持ち込み、奥田民生を流し、弾き歌いをし。
彼の事務机を、彼を慕うクラスメイトが取り囲んで先生が楽しそうに歌っているのが日常。その前の年の私なら、きっと楽しそうでいいクラスなんだろうなと感じていたでしょう。感じていました。4月になってその先生が担任と知り、とても喜びましたから。
私は、その輪にはいませんでした。
入れない、というよりは入らなくなりました。
入る隙がなくてが理由なのか。その輪に入る資格がないとわかったからか。私はクラスの隅で仲のいいメンバーとだけいました。
どこか先生を中心にみんなで笑おうという空気について行けなくて。なぜついて行けなかったのかは、当時の自分はわかりませんでしたが、どこか嫌悪感がありました。
一番ついていけない、となったのは、あるクラスメイトがお腹を下してしまった時のことでした。
あまりにもお腹がしんどくて保健室に行ったそのクラスメイトの席に近づいて、その先生は言ったのでした。
「バキュームカーみたいな臭いがするな」
そう言った途端、いつも先生の周りを囲むメンバーがドッと笑い、それにつられて笑っていく笑いの連鎖。
側から見たら、とても楽しそうなクラス。先生が面白いことを言って、クラス内が笑いで包まれている様子。
それは、私にとってクラスが地獄に変わった瞬間でした。
ふとクラス内を見回して、私の仲良しメンバーが笑っているか確認しました。無理やりその子たちが口角をあげているのがみえたとき、私もそっと口角をあげました。口から出たのは、他のみんなとは違う、乾いた笑い声でした。
保健室に行ったクラスメイトが6年間一緒のクラスメイトで、同じように運動会のたびに邪魔者、貧乏くじ扱いされてた子だったからかもしれません。冬の登山行事のたびに一緒に置いていかれ、泣きながら一緒に山を登った子だったからかもしれません。
でも、そこで笑うしかなかった私が怖くて。ゲラゲラと笑うクラスメイトが怖くて。お腹を下した自分の担任児童を笑う先生が怖くて。
私はクラスの中で孤独を感じるようになりました。
なぜこのクラスに馴染めないのだろう。どうして私は先生のことを面白いと思えないのだろう。
どうしてこうなった、という思いが笑いながらも常にありました。常に学校の中で、外の優等生の自分と、中でそんな自分に違和感だらけの自分の板挟みで、自分の思いを母親に叫んで一人でうずくまる勝己くんが、寂しげなのにとてもかっこよく見えました。
一人になってもいい。どうしてあのとき、あんなことを言ったの。どうしてみんなそんなに笑えるの。何がおかしいの。
そうやって叫ぶ勇気が欲しかったのかもしれません。
当時私の家にインターネットはつながっていなくて、私は山田くんの情報はテレビくらいしかありませんでした。アイドル誌を買うという認識(というかアイドル誌を知らなかった)はなく、1ポンドの福音が最終回を迎えたその後私は山田くんのなんの情報も持たぬまま春になり、私は中学生になりました。
そして、登校前に見る朝のめざましテレビでHey!Say!JUMPが北京五輪予選のバレーボールスペシャルサポーターに就任すること、山田くんが古畑中学生に主演をすることなどの情報を得るようになりました(多分意識するようになったから)。
そして、仲良くなった友達がジャニーズに詳しくてアイドル誌を読むようになり、CDを買うようになりズブズブとジャニオタの沼にはまっていきました。
そんなこんなで出会って10年目。はまって9年目。ここには書いていませんが、今後私は山田くんに人生の手綱を握られて生きることになります。
これからもゆるくジャニオタとして、山田くんを応援していきたいと思います。