七竈の食器棚

徒然なるものを竃につめこんで。

涙という意味の雑誌の話をしよう。

私がその雑誌を知ったのは高校3年生の春だった。

 

当時私は大学受験を控え、学校終わりはすぐ塾に直行していた。持った夢を確実に叶えることができる志望校は成績から考えるとはるか雲の上で、それでもそこに、もしくはその夢が叶えられそうな学校に行きたくて塾に行っていた。

 

そんなある日、塾に行く前にどうしてもとあるアイドル誌を読みたくて、高校から徒歩5分のショッピングモールの大型本屋に立ち寄った時のことだった。私の目当てはアイドル誌だったのに、アイドル誌コーナーのそばのとある雑誌が目に入った。

 

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ピンク色の枠に、可愛い女の子二人が頭を寄せ合うようにポーズを決めている表紙。見たことのない雑誌だった。

 

「あ、みるきーじゃん!」

 

 私はそう言って思わずその雑誌を手に取った。というのも、当時二人のアイドルが私にとってミューズ的なものだった。

 

一人は、渡辺麻友さん。とにかく可愛くて、中学時代からこんな女の子になりたいと思っていた。

 

もう一人は、渡辺美優紀さん。出身県かつ高校が一緒で、こんなど田舎からこんな可愛いアイドルが生まれるなんて…と憧れていた。高校一年生の時に一度ショッピングモールのイベントにNMB48メンバーが来たことがあった。私はそのイベントがあると知らずにそのブースに向かう渡辺美優紀さんとすれ違った。思わず振り返ってしまうほど小さくて白くてでも柔らかそうで、可愛かった。私とは大違いだった(比べるほうが失礼だ)。

 

全ての出演情報をチェックしているわけではない、でも表紙を飾ったら見てしまう。そんなお茶の間ファン中のお茶の間ファンをしていた私はその見たことがない雑誌をパラパラとめくった。

 

衝撃的だった。な、なんだこの雑誌は。どのページにもレースやリボン、でもどこかセピアだったりパステルだったり。なんというか、非現実的で…昔のフランス映画の世界のような。ていうかめっちゃ可愛くないか?

 

当時の私の中でファッション誌といえば、専属モデルさんが「私、○○!高校二年生の普通の女の子!」なんて言いながら気になる男の子とデートしたり友達と遊びに行ったりする時の服の着回しを紹介していたり、いわゆる日常のオシャレを載せている…自分とは違う"陽"の世界だった。

 

もちろんこんなページばかりではないと今ならわかるが、当時の私はファッション誌を手に取る時は後ろからめくっていた。なぜなら、だいたい自分の担当アイドルが掲載される時は後ろから見た方が早かったからである。連載を持たせてもらってる雑誌もそうだったし、そうではない雑誌でも前から見るよりは後ろからめくる方が早かったのだ。

 

私にとってファッション誌は後ろからめくるものだったのに、その雑誌はどこをめくっても可愛くて、不思議な世界で、表紙の二人以外のモデルさんも見たことがないくらいお人形さんのような人ばかりだった。(とにかく当時モデルの知識が皆無だった。)

 

「こんな雑誌あるんだ…なんて名前なんやろ。」

私はそこで初めて雑誌の名前を読んだ。

 

LARMEという名前だった。

 

のちにこの雑誌の名前がフランス語で『涙』を意味する言葉で、当時の編集長が『すごく嫌なことや悲しいことがあっても、可愛い写真を見ることでちょっと忘れられる。LARMEが皆の涙の代わりになってほしい』という思いを込めてつけたと知った。

 

 

 

 

 

 

私はその時は、LARMEを買って帰らなかった。最高に金欠かつ、受験生ゆえに自担のアイドル雑誌もCDも絶ってるような状況で、ファッション誌を買うのは自分の中でありえないことだった。大学生になったら、買おう。こんな可愛い大学生になりたいと、そんなことを思っていた。

 

 

 

 

 

そして月日が過ぎ、第一志望ではないものの志望校の一つに合格したある日、私は塾に合格報告の帰りに例のショッピングモールのいつも行っていた本屋に寄った。そして真っ先にファッション誌のコーナーに行った。

 

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キラキラしたスノードームの中に、二人の可愛い女の子がいる表紙。タイトルを読まなくても、一目でLARMEだと分かった。他の女性向けファッション誌とは全然違う、甘くて不思議な世界観の表紙。それがLARMEだった。

 

胸を躍らせながら購入して帰り、まだ参考書でいっぱいの部屋の中で夢の世界に浸った。こんな格好をして外を出歩いてる人間は、田んぼと畑だらけの田舎にはいなかった。私がこんな格好をして出歩いたら下妻物語深キョンみたいになるだろな(深キョンみたいな美貌じゃないけど)。浮きまくるだろうし、保守的な方が多い地域だから指差されてひそひそ陰口を叩かれるだろう。不審者にあった小学生を嫁にいけなくなったと嘲笑うお年寄りがいる地域で、こんなカッコはできない。でもしてみたいな…都会はいいな…。高校三年生の終わりにしては浮ついた考えだったとは思う。でも現実を忘れさせてくれるそのLARMEの世界に、私は足を踏み入れたのだ。

 

 

 

 

 

大学生になり、私は愕然とした。大学近くの、Tで始まる大型有名書店にLARMEがなかったからだ。

 

そもそもLARMEは最初季刊誌で、定期で隔月になったのは003号から。私がLARMEを初めて見たのは004号だった。004号を見たのも大型書店だったが、正直私は驚いたのだ。今までこんな可愛い雑誌を見逃していたなんて、と。

 

私は実は雑誌コーナーがとにかく好きで、高校の帰りに本屋で雑誌コーナーを一周し、いろんなジャンルの雑誌を眺めるのが大好きだった。004以前の歴代のLARMEの表紙を見てもそれまでの表紙を本屋で見たことがなかったことから、おそらく004からその本屋でも置かれ始めたのではなかろうかと思う(思い違いかもしれないが)。

 

ちなみに通販というのは自分の頭の中にはなかった。雑誌、本は本屋で買うものと思っていたからだ。

 

意気消沈しながら大学生活を始めたある日、サークルの先輩から大学の最寄駅のそばのスーパーにできた本屋がそこそこ大きいと聞いた。「絵本も漫画も雑誌も充実してるんよ。探してた本置いてて嬉しかったわー!」と彼は豪快に笑っていた(大学生が絵本?と思った方に対して注釈をつけると、私も彼も教育系の世界で名が通る大学に教師を目指して通っていた)。

 

あの大型有名書店でもなかったし、ないだろうと思いつつも私は彼に案内されながらその本屋に向かった。

 

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あった。逢沢りなちゃんがいた。嘘でしょと思わず声が出た。そしてその本屋は彼のいう通りなかなか充実していた。LARMEだけじゃなくてLula(イギリス発の可愛いファッション誌)もあった。Lulaもあるとか…ここは天国か!?とびっくりした。店主のおじさんも優しそうで、品揃えも良くとにかく私にとって最高の本屋だった。

 

そして私は、奇数月の17日になればLARMEを買いにその本屋に行くようになった。

 

この本屋以外でも、私は出先で書店に立ち寄るたびにその書店にLARMEが置いていないかチェックするようになった。そして、前は置かれていなかったのに最新号のLARMEが置かれていたり、毎回置くようになった書店が少しずつ増えていった。私の地元の田舎のイオンの本屋にも置くようになった。

 

自分が好きな世界が、人に知られていくのが本当に嬉しかった。私がLARMEを毎号買うようになって一年が経っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?LARMEってこんなこと載せてたっけ」と思ったのはいつの号だったろうか。その時私は大学に向かうバスの中で買ったばかりのLARMEを読んでいた。たしか編集長が変わったとは聞いていたが、私はそのとき信じられないものを見た気がした。

 

……今、おっぱいケアという言葉がなかったか?

 

今、モテがどうとかなかったか?

 

私はLARMEは、モテとか気にせずに自分の好きな格好をする雑誌だと思っていた。おっぱいケアは、まあわかる。理想のバストの形とか触り心地とかあるのかもしれない。でも…正直LARMEは男の人受けしない女の子がいる世界だと思っていなかった。彼氏からも正直ウケが悪かったし、というかそんな男受けを気にする雑誌だと思っていなかった。……私の思い違いだったのかな…と、見ないフリをした。

 

だが、LARMEは読みながら少しずつ、服のメインページではなくケア的なページで違和感を持つようになった。

 

一番衝撃だったのは、クリスマス号のパーティー特集ページだった。総レースのランジェリーが載っていた。いや可愛いよ?綺麗だよ、綺麗だけど。女同士でもそんな派手な、いかにも勝負下着ですなやつ見せ合わないよぶっちゃけ。ていうか着ないよ…。

 

私はその時から、LARMEが自分の価値観に合わなくなってきたんだなと思うようになった。

 

LARMEの世界に出てくるような女の子になりたいと、高校三年生の私は思っていた。私がなりたかった職業は5人の枠に300人応募してくるという厳しい世界で、その資格を得るためにはしんどい日々でも可愛い女の子の服を着てれば乗り越えられるかもしれないと思っていた。

 

でも現実は違った。小学校かよ!と言われそうな月〜金まで1〜5限みっちりの大学の授業のカリキュラムをこなし、バイトも定期的にできず金欠で、服は基本しまむらで私は過ごしていた。強いて言うならメイクだけはお人形顔を目指していた。もちろん元が元なので、似ても似つかない顔だったけれど。

 

LARMEのような女の子になりたくても、田舎の大学生にはかなり限界があった。ガッツがあれば出来たかもしれないけど、私には無理だった。だって可愛い服やアクセサリーは持ってたら私を満たしてくれるけど、それを買ったら代わりに友達と遊んだり彼氏と出かけたりの交際費が賄えなくなるし、授業に必要な細々としたものが買えなくなる。そっちの方が恐ろしかった。

 

LARME一冊で、私の可愛いは満たされていた。でもだんだん、私の中の理想の"可愛い"と今の自分のニーズが合わなくなっていた。もう好きな格好だけしてればいい自分でいるには、タイムリミットが迫っていた。もっと、社会人に近づくために変わらなければいけない時期になっていた。

 

仕方ないわな、と割り切った。もっと今の私には必要なものがある。いつまでも夢を見てはいられない。LARME買うよりは、就職してからも浮かない格好を参考にできるものを見ないといけないと思っていた。

 

 

 

……いや、本音を言うとLARMEが変わったと思いたくなかった。

 

 

 

私が定期的に買わなくなり、就職してからも立ち読みだけはしていた。そして、ここ近年LARMEに付録がつくことが増えた。いや、今までも付録がついていたことはあったけど、プラスチックの付録じゃなくてモデルを載せたクリアファイルだったり、一人のモデルにスポットを当てた小冊子だった。ポーチにコスメだったりスマホリングなどの、小物ではなかった。

 

今の女性誌は豪華な付録がつくことが当たり前だが、LARMEに付録がつくようになったのは私には衝撃だった。5周年号のマイメロポーチはわかる。アニバーサリー、しかも5周年号だから。でも毎号つくようになるとは。もともとLARMEを創刊した編集長は、小悪魔agehaの編集に携わっていた。小悪魔agehaは今は季刊誌だが、かつては30〜40万部を誇った人気雑誌だった。そしてその小悪魔agehaには付録が付いていなかった時期が長かった。創刊した編集長の意向で、付録がついていなかったのだ。その編集長は、付録をつけろという圧とも戦っていたそうだ。私もわりとそうだが、付録を見て雑誌を選ぶ人は多いのではなかろうか。付録を見て、雑誌の中身を見ない(もちろんそんな人ばかりではないだろうけど)。おそらく編集長はそれを恐れたのだ。その編集長が小悪魔agehaを抜けた途端、小悪魔agehaに付録がついた。LARMEを創刊した編集長は小悪魔agehaの編集長のように付録をつけない主義だと、どこかの記事で見た。

 

その編集長がLARMEを離れて、かなりの年月が経っていた。

 

付録がつくと付録代でコストがかかる。コスト回収に雑誌の値段も上がる。LARMEも付録がつくことが増えてから、付録がついた号は値段が上がっていた。私が初めて買ったLARME008は、専属モデルの菅野結以ちゃんのフォトブックがついてない号なら607円(ついてたら1030円、なお私が買ったのは記念を含めこっちだった)。スマホリングがついた038号は794円。200円近く上がっている。

 

私は定期的にLARMEを買わなくなってから2度、LARMEを買った。一冊は白石麻衣ちゃん卒業の034号。もう一冊は、043号。Twitterでとある雑誌の付録が可愛いというのを見て驚いたのだ。この可愛いアイシャドウはなに?と。見たらLARMEの付録でまた驚いた。考えてみれば、この号も2冊とも付録がついていた号である。白石麻衣ちゃん卒業号は白石麻衣ちゃんのフォトブックがついていた。

 

久しぶりに買ったLARMEは、私が好きだった世界を残しつつ、知らない女の子がかなり増えていた。ザ・お人形といった感じの女の子が減った気もした。でも仕方ないし、私はもうLARMEの読者層ではないことはわかっていた。時代は、流行は変わっていく。生き残るために変化は必要なのだ。でも私が地味にLARMEで一番好きだった、イラストレーターのree*rosee(@reerosee)さんのCinema Fashion Roomという、映画の可愛いファッションを紹介するコラムページだけは変わっていなかった。変わらず、素敵なイラストでみっちり映画のファッションを紹介していた。私が夢中になった頃と、変わっていなくてちょっと嬉しかった。

 

私はLARMEを一読して、そして、付録のアイシャドウを開けた。そのアイシャドウはコンサートに、クリスマスデートにとかなり活躍した。なんどパッケージのSwanKissのロゴを見ただろう。可愛いと言われてとても嬉しかった。

 

久しぶりに買ったLARMEはというと、買った時に一度見て、開くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

LARMEが休刊したと知ったのは、2020年5月。コロナで色々な楽しみが根こそぎなくなっていた春のことである。その休刊号が出てから、1ヶ月半は経っていた。衝撃と共に、まあ仕方ないか…という気持ちがあった。コロナ関係なく、ただでさえ不況なのに消費税は上がった。LARMEを作る世界は、可愛いけどお値段は非常に可愛くなかったことは知っていた。

 

せめて最後のLARMEだけは見ようかな、と仕事帰りに田舎の寂れた商店街の本屋に立ち寄った。そこに最後のLARMEは置かれていた。私がLARMEを読み始めた頃は、ここはたぶんLARMEを入荷してなかっただろうに。LARMEはシャッター商店街の本屋の片隅にも入荷されるメジャー誌になってたんだな…と謎の感動があった。休刊だけども。

 

最後のLARME、045号は付録がついていなかった。

 

『私たちに必要な、愛すべきガーリーのすべて』というタイトルを見た途端、なんだか涙が出た。私はもうガールではなく、ウーマンだった。かつてあんなに憧れたガーリーとは程遠い、とにかく着替えやすくて動きやすい、田舎道でも浮かない変な目で見られない服で通勤していた。完全に女の子ではなかった。鏡に写っていたのは、仕事で疲れた顔をしたただの女だった。

 

私の青春が終わった…と思いながら読み進めた。豪奢なベットに横たわるモデルたち。キラキラ、ふわふわのジュエリー。セピア加工された写真にフランス映画のようなドレス。あー、久しぶりにLARMEだー…下着もおっぱいケアもなーい!

 

……が、それとは別の小さな違和感があった。

 

……休刊なのに、定期購読のお知らせがある?

 

SHOWROOMオーディションで決まったLARME teensという女の子たちを、これからもよろしくねと載せるか?(いやLARME webで活躍してもらうためだろうけども)

 

なんか休刊って感じがしないな。でも随所に終わりが見える、不思議な号だな。あれかLARMEは終わるけどそれぞれのガーリーは生きていくってことか…と自己完結しながら読んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月。LARMEの復活が決まった。それも初代編集長で。初代編集長がどのような経緯でLARMEを復活させることになったのかも読んで、感動した。会社ってやっぱ恐ろしいなあ、でもあの好きなLARMEが返ってくるのか!それも来月!!よしそれまで生きる!!!と。

 

そして新しいホームページがあまりに可愛くて、思わず似たような趣味の同期に送りつけた(その子はLARMEを知らなかった)。

 

 

 

 

LARMEの表紙が出るのを楽しみにしていた。私は、LARMEのインテリアとして飾っても可愛いようにこだわった表紙が大好きだった。実際、3冊はコンビニでポスター大に印刷をして部屋に貼っていた。

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あの、LARMEが返ってくる。私はもう読者のターゲット層ではないけれど。あぁ、どんな表紙だろうと思いながら9月17日がくるのを楽しみにしていた。

 

 

 

 

本当に、楽しみにしていた。

 

 

 

 

……モデルに罪はない。いや、私がきっと変わっただけなんだ。

 

 

 

 

 

 

9月17日、0:00を回ってすぐ。あれ?そういえばLARMEの表紙出てたっけと検索をかけたら、嘆きのツイートが出てきた。そして、表紙の画像も流れてきた。

 

 

 

 

 

 

……モデルに、罪はない。時代の変化だ。私の、変化だ。ただ私がLARMEのターゲットじゃなくなっただけなんだ。そうなんだ。

 

でも、あの頃のLARMEはもう、戻ってこない。

 

 

今私は、LARMEの最終号の、専属モデル菅野結以ちゃんの連載ページ、ユイトピアを見ている。薔薇の葬列というタイトルの写真。ウェディングドレス姿の菅野結以ちゃんが、美しい花に囲まれて棺に横たわっている。そこに添えられた、RISA LEEさんの美しい文章。

 

『ほんとうはただ こんな風にこどもじみた遊びをできるだけ長く続けていたいだけ 

旅が終わらないように寄り道ばかりして 大袈裟な思春期を長引かせていたいだけ』

 

『だけど、もう気づかないふりはできないくらい季節は変わって ぼくらは変わって

目が覚めてしまったあとでは

あんな日々は遠い誰かの空想のようで』

 

『あの頃きみと見た大冒険は

誰も触れない、誰にも説明のきかない

目の眩むような、春の夢だった』

 

 

……夢は、綺麗な夢のままで閉じ込めておこう。

 

私にとってLARMEは、生涯忘れられない春の夢だった。