七竈の食器棚

徒然なるものを竃につめこんで。

11年推してた自担からファンサもらったかも知れない話

もう時効だと思うから書く。世界が一変した激動の2020年を経て、すでに2021年もなにかと不穏な日々を送っている中、どうしても忘れたくない記憶がある。その記憶が薄れてしまいそうな自分が怖い。だから今、『かもしれない』ことだけど、この記憶を記録として書いている。

 

2019年12月1日。私はその日、疲れを押して京セラドームに来ていた。Hey! Say! JUMPのアルバムをひっさげてのドームツアー『PARADE』に参戦するためだった。ただ私は、この上なく疲れていた。

 

というのも、前日急遽先輩の病欠の代わりに休日出勤で仕事している最中、翌日のライブに同行する予定だった方が来れなくなったからだ。現金を用意できないからメルカリかラクマに私のチケを出品して、そこから買わせて欲しいと連絡が入ったのだ。そんなわけわからん転売まがいなことできるかとオブラートに包んで言ったら交渉決裂、私は参戦前日に同行者がいなくなってしまったのだ。妹も母も当時の彼氏も既に予定が入っていて、仕事が終わってグッズを買いに行く最中同行者を募ってなんとか決まった。

 

急用がいくつも入ると人間混乱する。私はかつてない疲労感で、ドーム前にいた。

 

私にとって2019年は思いがけないことの連続の年だった。ジャニオタ視点で言うと、ファンマナーによってアリーナツアーが潰れるという大変心苦しいことが起き、突然それまで興味を持っていなかった目黒蓮からのSnowMan沼にどぼんと落ち、掛け持ちになった。そして私生活では同期が職場の後輩になり、社会人2年目にして教育係になるという個人的には激動な日々を過ごしていた。そして何より、当時の彼氏からやんわりと明言はされなかったが結婚をかなり迫られていた。結婚すれば、自然と現場には行けなくなるだろう。現場どころかオタ活も絞らねばならない(結局その彼氏とは2020年にコロナのゴタゴタで揉めて別れてしまってこれは杞憂に終わった)。翌年もっと世界が変わると思っていなかったが、私はこれがHey! Say! JUMPの現場に入る最後の年になるのではという気持ちでいた。実際、2020年1月を最後に私は現場なるものに行けていないのだけど。

 

そんな気持ちで私は、前日に買ったグッズうちわと、双眼鏡、そして手作りのファンサうちわ…というよりメッセージうちわを持って参戦していた。

 

その時で担当歴11年になる、山田涼介さんに向けてのうちわだ。

 

うちわは2枚。1枚に『涼』、もう1枚に『介』。そして『介』のうちわ裏には、Hey! Say! JUMPファンにはお馴染みの9ぷぅの『くるすけ』を模したもの。『涼』のうちわの裏には、『いつもありがとう』というメッセージを入れていた。f:id:strawberrytart0509:20210110190028j:image

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『涼介』の文字をひっくり返すと、くるすけが『いつもありがとう』と言っているように見える、名付けて『くるすけお礼うちわ』である。2018年のHey! Say! JUMPの京セラドームのライブに参戦する際に作ったものだ。お恥ずかしながら、私は11年山田涼介さんを応援しておきながら現場に参戦したのはその2018年が初めてだった。門限だったり金銭的問題だったり、要は私は歴だけ妙に、長い現場歴のないオタなのだ。そしてようやく初参戦だ!とうちわを作ろうと意気込んで用意してファンサうちわの例を見ても、投げキスもじゃんけんも、もし山田さんが目の前にトロッコで来たとしてできる気がしなかった。というか…別にいらないかもファンサと私は思ってしまった。私なんかに、山田さんからファンサを貰いたいなんて烏滸がましいとすら思っていた。いっそ作らない方がいいかも知れないと思ったが、買った材料がもったいないという自分が顔を出した。

 

…逆に私が山田涼介さんに伝えたいことはなんだろう、と考えて浮かんだのは、感謝の気持ちだった。

 

前にこのブログでも書いたが、私は山田さんの仕事が見たくて生きてきた女だった。学校生活がとにかくうまくいかず、自殺したいと思った途端に山田さんに大きな仕事が入り、『ここで死んだら私絶対後悔する!』というのを繰り返して繰り返して、最終的に不登校にもならず生き残った女だった。結果的に、死ななくてよかったと思うことが年々増えていき、なんだかんだで毎日楽しい。

 

山田涼介さんがいなかったら、今の私はいない。よし、ありがとうの気持ちを書こう。

 

そう思って作ったのがひっくり返すとくるすけが『いつもありがとう』と言ってるうちわ、だった。

 

今見返すと両手持ち仕様だし、キラキラしてるしでうちわマナーからはみ出しまくってるうちわだ。これ持って行っちゃったか…と少し頭を抱えている。もう少しそこらへんを考えて作ればよかったなと今なら思う。

 

さて2018年に参戦した際、私はトロッコすら来ない席だったため野鳥の会と化した。

 

2019年、急遽朝から遠征してくださった同行者さんと落ち合い入った席は。

 

 

まさかのアリーナ。しかも、センターステージ前。自分の席の後ろは柵、その向こうは空間が空いてスタッフが音量か何かの機械を調節しているエリア。その機械の後ろがセンステだった。

 

そもそもデジチケをかざして表示された席の時点で悲鳴が出そうになった。

 

「あ、アリーナです!?」「嘘!?え!?嘘でしょ!?」

 

同行の方と何度も何度も確認した。同行の方も、まさか急遽参戦を決めたコンサートがアリーナ席と思わないだろう。しかも先に向かってみればセンステ前である。何が起きるか分からないと、同行者さんも実際おっしゃってた。分かる。私だって自分が同行者さんの立場ならびっくりする。

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さてこの時の『Parade』というコンサート。ドームツアー初日である2日前の時点で、とんでもない情報がJUMP担たちの間で飛び交っていた。

 

メンバーが、磔の刑に遭いながらムビステが360度縦に回転しながら近づいてくると。

 

何度読んでも分からなかった。絵で描いてくださった情報を見てもわからなかった。今書いてても見たのを思い出してもやっぱりあの装置は不思議装置すぎる。すごかったけど。

 

いつ出てくるんだろう噂の装置は、と思いながら私はその席でコンサートを見ていた。

 

さすがアリーナ、そしてセンステ近いだけあるわ…というくらい近かった。メインステージの様子を見るためにはある程度双眼鏡がいるが、花道やセンステを見るには双眼鏡が必要なかった。いやすごいな、そりゃアリーナいいわ…と思いながらその美しい世界に夢中になっていた。

 

そして、その時はやってきた。

 

磔の刑とも称された360°縦回転ムビステ。その名も『JUMPやぐら回転ステージ〜You回っちゃいなよ〜』の登場である。なおこの名前は2020年正月に判明した。

 

Hey! Say! JUMPのメンバーはこの装置に、左から見ると高木雄也、有岡大貴、八乙女光、山田涼介、伊野尾慧、知念侑李、薮宏太、中島裕翔の順で並んでいたのだが…。まさかの、アリーナ席の上だけを通る仕様の機械だった。改めて席運の差がえげつない。そして、この機械のすごいところはめっちゃ真上にいるHey! Say! JUMPが縦に回りながら近づいてくるということだ。そう、近づいてくる。

 

角度によってはガン見されるし、めちゃくちゃ近くにHey! Say! JUMPのメンバーの整った顔が来るのだ。 

 

そして私はというと、まさかの自担の山田さんが目の前に通る列だったのだ。そして伊野尾担であった同行者さんは、伊野尾ちゃんが目の前を通る列だった。いや今思ってもとんでもない席だった。

 

私の目の前に、逆さ吊りの山田さんがゆっくり回転しながら近づいてくる。アリーナ席はとんでもない悲鳴に包まれていた。私はというと、件の『くるすけお礼うちわ』を胸元に持ちながら固まっていた。

 

あの、あの山田涼介さんが確実に、こっちに来る。逆さ吊りで、来る。状況はカオスだけど、あの山田さんが私の目の前に来る。

 

そもそも現場に参戦できないことが前提だった女には、現場に行く権利が来ること自体幸運すぎることだった。それがアリーナ席、センステ前。あと少しで目の前に来るのは、逆さ吊りの自担。一気に頭の中に、一番辛かった中学時代のことが浮かんだ。クラスの端っこで仲のいい友達と固まって必死で励まし合って、登校していたあの頃。仲のいい友達が次々学校に来なくなる中、楽な自殺の仕方や遺書の内容を頭で考えながら生きていたあの頃。死ななくてよかったと中学卒業後何度も思ったけど、私は心の底からこの時『生きててよかった』と思ったのだ。

 

重くて痛い女だと笑ってくれ、でも私にとって山田涼介さんが生きる糧だったのだ。

 

山田さんが縦に回転しながら、目の前に来た。あの彫刻のように綺麗な顔が、前髪が落ちた美しい顔が目の前にある。私は少しだけ、『くるすけお礼うちわ』を高くあげた。顎にうちわの上部がざくっと刺さった。

 

山田さんと、目があった。綺麗な大きな瞳は少し目を大きく開いていた(もちろん私の勘違いだろうが今は目があったと思わせて欲しい)。

 

そして山田さんが磔にされた機械は、ゆっくり回転して上に上っていく。

 

だが、彼は顔だけこちらを向いていた。目は大きく開いたままだった。本当は他のメンバーもファンの方を向きながら上昇して行っていたかもしれない。だが私は山田さんしか見れていないのでこう書かせて欲しい。

 

私はというと、間近でみたHey! Say! JUMPの美しさに、『くるすけお礼うちわ』胸元に掲げたまま、固まっていた。そしてHey! Say! JUMPが行く方に体を向けて、立ち尽くしていた。うちわはまだ『いつもありがとう』と言ったままだった。

 

山田さんは自分が機械で通った列を見ながら、上昇していって、そして、固定用のベルトを外した。完全にステージが止まる直前に、先程ステージが通った後ろ側、私含むファンがいるアリーナ席側を覗き込むように向いた。しばらく、彼はこちらを向いていた。…あれ、こっち見てる?てか、目が合ってる気がする?と思ったその時。

 

山田涼介さんは少しだけ笑って、手を振った。

 

その真下にいる私たちファンは悲鳴を上げた。えげつない悲鳴だった。山田さんはそのまま前をむいてパフォーマンスを始めた。たしかUTAGE tonightだったと思う。だが、記憶にない。

 

私のこの日の記憶は、この山田さんのファンサで埋まってしまったからだ。ファンサというか、一連のうちわが見えるように立ってからのたった数分の出来事で。コンサートが終わるまで、私の涙はなかなか止まらなかった。

 

私のうちわはキラキラのホログラムがついていて、言ってしまえばジャニーズのファンサうちわでは違反している方だった。後から知ったが。こういうところがHey! Say! JUMPファンは民度が低いと言われるところなんだろうなとかなり反省している。だから妙に光っていたのかもしれない。だから、彼の目に入ったのかも知れない。

 

それでも、彼はこちらの方を向いていた。ステージが動いて、彼の後ろ側にいる状態になっても、わざわざこちら側を向いてくれた。私の思い込みだろうけど。

 

そう思いながらも、仲のいい山田担仲間のSNSでこの出来事を話したら、アリーナではない席にいた山田担さんが言った。

 

『ムビステ後ろ?前?ステージメンステ側に覗き込んで手振ったの、私双眼鏡でばっちりみてましたよ』

『あちら側にまわってあのタイミングでファンサするんだ!!って思ってたんです。』

 

……他の人から見ても珍しい、ファンサだったんだ。そう思った時、一気に涙が溢れた。

 

ファンサをもらえたかも知れないことが嬉しかったのではない。山田涼介さんに、あの『いつもありがとう』のメッセージを見てもらえたかも知れない。それがただ、嬉しかったのだ。

 

ファンサなんて私はいらなかった。ただ、いつもどんな時でもファンの前に立ち続けている彼に、お礼がしたかった。その気持ちで、うちわを作った。

 

少しだけでも彼にお礼が伝わればいいと思って持って行ったのに、手を、手を振ってもらえた。

 

帰ってから号泣した。出迎えた家族にとても驚かれた。そして神席だったこと、ファンサのことを伝えたら、母も泣いた。母は私が山田さんに生かされてきたことを、よく知っていた。よかったね、よかったねと。

 

この幸せな記憶さえあれば生きていけると、という表現を見たことがあるだろうか。私にとって、この山田さんから手を振ってもらった(と思いたい)記憶が、それにあたる。

 

今まで生きていてよかったと思う瞬間は何度もあったが、この出来事が2021年を迎えた今でもその頂点に当たる。今思い出しただけでも、正直泣けてしまう。

 

この出来事は、私の思い込みに違いないだろう。だってあの時あそこにいたファンはたくさんいるし、沢山のファンサうちわが並んでいた。『手を振って』も『じゃんけんして』も、『投げチューして』も見かけた。

 

でも、私が書いた『ありがとう』は、山田さんに伝わったと思いたい。

 

 

 

 

 

…さて、これ以降私は現場に行けていない。最後に行ったのはHey! Say! JUMPでもSnowManでもなく、先輩に誘われて行った宇宙Sixと関西Jr.出身の室龍太くんが出演した舞台『のべつまくなし・改』である。ちなみにこれめっちゃ面白かったので再再演があったら絶対行く!と思っていたのだが、大変残念なことが起こってしまったためもう見ることはできない。辛い。

 

Hey! Say! JUMPは、『PARADE』ツアーが終わって以降有観客の現場がない。掛け持ちのSnowManもデビューしたものの、滝沢歌舞伎ZEROもデビューコンサートも中止。コンサートは行えたものの、無観客配信のみだった。

 

当たっていた亀と山Pのコンサートは中止になったし山Pがジャニーズ事務所からいなくなってしまったため、とんでもない幻のチケットと化した。2020年、こんなはずじゃなかった。誰だってそうだろうけど。

 

……話は変わるが、私は地方の医療従事者である。看護師でも医師でもないが、医療従事者であり勤務先は病院である。免疫抑制剤を使う方と接する機会が多いから、自分がいつ持ち込むか分からないと思って県外には半年以上行っていない。県内の大型ショッピングモールも2ヶ月に一回行くか行かないかに抑えている。

 

現場に行くことができるのは、この状態だと何年先かわからない。山田涼介さんも、目黒蓮くんもいつこの目で見ることができるだろうか。

 

正直、私生活でもオタ活でもとても辛いことが増えた。職場は非常に人手が足りないし、春からはさらに人手が足りなくなることが確定している。世知辛い。

 

でも、それでも辛い時はこの記憶を思い出す。たった一瞬の、きらきらした出来事。自分の人生の中に起きた奇跡の記憶。

 

重いファンだと笑ってくれ。でも、私はこの記憶を頭の隅っこから引き出して思い出しては、幸せな気持ちになる。永遠に溶けない飴玉みたいだと思う。甘くてキラキラしたこの記憶を、私は反芻して頭の中でころころと転がす。3分あるかわからないこの出来事は、私の一生の思い出になった。

 

いつか、この記憶が塗り替えられる日は来るのだろうか。…永遠に来ないで欲しいなと思いつつ、いつか塗り替えられる出来事が起こることを楽しみに、私はまた働く。いつか現場に行けることを願って。