七竈の食器棚

徒然なるものを竃につめこんで。

晴れの日、風と共に苦味が消えた

 初めてお酒を飲んだのは中学2年生がもう少しで終わる、14歳の時だった。父方の祖父宅で飲んだ、お正月のお屠蘇である。

 

『ななちゃんも縁起物やから飲みい』

『春から受験生やし今から縁起かついどけ』

 

 すでに顔が赤い祖父が、同じくらい赤い漆器を手に持っていた。父も少し赤い目で頷いていた。横に座っていた母は何かあった時のためのハンドルキーパーで、飲むフリだけしていた。少し渋い顔をしてこちらを見ている母の手の中に、お屠蘇が並々入った赤い盃があった。

 

『え〜、うちも飲みたい』

『いやまだちょっと早いわ〜』

『お姉ちゃんの年になったらええで』

『なんやったら今から中学受験考えるか〜?おじいちゃんお金は出したんで〜』

『縁起でもないこと言わんといて下さいなお義父さん』

 

 小学生の妹が飲みたがるのを横に、母は盃を一旦父に渡し、すかさず父はその盃を飲み干した。祖父の冗談に、母は気が気ではなかったかもしれない。私は空になった盃を父に渡された。

 

当の私は、困惑していた。『未成年飲酒』というワードが頭をよぎった。いいのか、お酒。というか母も父も止めないのか。いいのか?縁起物だからいいってそんなこといいのか?そんな私の困惑をよそに、祖父が盃にお屠蘇を注ぐ。

 

『お義父さん!この子お酒初めてなんでちょっとにして下さいよ!!』

 

 母の警告は少し遅く、並々ではないもののそれに近いお屠蘇がすでに盃に入っていた。透明な、独特の甘みがある匂い。困惑が5割、好奇心4割。残りの1割は恐怖だった。保健の教科書で見た、急性アルコール中毒が頭をよぎる。

 

いただきます、と言って盃を傾ける。苦味と、少しの甘味。水ともジュースとも、ようやく飲めるようになったカフェオレとも違う不思議な味。柔らかな匂いと熱が、口いっぱいに広がった。

 

『どや?ななちゃん』

 

 ニコニコと上機嫌な祖父に、私は迷わず答えた。

 

『美味しい!!でも熱い!!!』

『え、これ熱燗とちゃうけど』

 

 私の答えに祖母が困惑した。アルコールの熱やろ、と父が言う。いいなー、いいなーと妹が繰り返す横で祖父がさらに注ごうとするのを母が止める。

 

ここで私の記憶は途切れている。見ていた妹の話だと、眠い〜と言って皆で入っていたこたつの布団をそっと自分に引き寄せ寝転び、寝入ったそうだ。弱すぎだろう、私。ただうちの父も母も酒に関しては強くなかった。気づいた時には、正月の酒盛りがほぼ終わっていて、妹と祖父母が喋っている横で父もテレビを見ていた。母が一人で、皿を洗っていた。血の気が引いた。なぜなら、祖父母宅でご飯をいただいたら母と私で使った全ての皿を洗っていたからだ。

『ごめん』

『ええんよ』

『ごめん』

『ええて』

あんた何も悪くないから、と言った後に何も言わない母の横に立ち、私は山積みになっている泡だらけの皿に水をかけていく。熱を帯びた手にかかる冷水が妙に気持ちよかった。でも、なんとなく口に苦味が残っていた。

 

 

 

 初めてビール味のものを飲んだのは、それから数ヶ月後の春。生きてきて何度目かの法事の後だった。祖父や私たち一家、そして親戚で集まって店で鰻重をいただいた。こういう時でないと滅多に食べれない鰻を頬張っていた時、突然七竈ちゃん、と声をかけられた。

顔を真っ赤にした親戚のおじさんが、私にビール瓶の口を向けていた。正直あまりいい印象がない、父がたまに冷たい目をして見ているおじさんだった。なんだ?酌をしろということか?と箸を置いた時、グラス持ち、と言われた。

 

『飲んでみ、七竈ちゃん。ん!』

『え、未成年なので…』

 

 法事なので、私は制服を着ていた。受験生で、地元の店で。誰が来るかも、誰に見られるかもわからないのに、できたら色んな意味で避けたかった。

 

『なんやそんな可愛くないこと言わんと!女は愛嬌!!ほらこっちやったらノンアルコールやから飲んでみ!ん!!』

『ななちゃん、こういう時は飲むもんや』

 

 その親戚の横に座る、同じくらい顔を赤くした祖父も同意する。母は叔母と、父は父で親戚と喋っている。妹は祖母の横だ。四面楚歌、が頭に浮かぶ。

『…じゃあ、ノンアルの方なら。』

 仕方ない、とグラスを持った。頼むから、誰も私の顔を知ってる人が今お店に来ないで欲しい。先生方も頼むから来るな、と心の底から思った。そんな私の思いとは裏腹に、グラスにテレビCMで見慣れた鮮やかな黄色の液体が注がれていく。違うことがあるとすれば、あまり泡立っていなかったことか。瓶に残っていたのも少しだったのか、液体はグラスの半分くらいで止まった。

 

『…いただきます。』

 

 仕方ないので、飲んだ。

…苦い。なんだこの苦味は。なにより、ぬるい。正直、まずかった。何が美味しいのだこれは。この苦味の何がいいのだ、男たちは。だが残すのも癪だったのでそのまま飲み干す。グラスを置き前を向くと、渋い顔をしていたであろう私を見て、その親戚と祖父は大笑いを始めた。

 

『いいのう可愛いのう』

 

満足そうに笑う親戚の顔を見て、あぁ父が嫌いそうな人だなと思った。指先が冷たくなっていく。

 

『え、七竈お前何飲んだんや』

『ノンアルやから大丈夫やて、ただの麦ジュースやさかい』

 

 引き攣った顔の父を制するように笑う親戚。気づくの遅いよ父。そんなことを思いながら、苦味をかき消すように鰻をかき込む。美味しい。鰻、本当に美味しい。タレの甘味も、うなぎの柔らかさも、ご飯もなんとたまらないのだろう。熱々のご飯と鰻と、少しの山椒が程よくてたまらなく美味しかった。

 

ビールなんて、二度と飲むもんか。少なくとも、この親戚の前では絶対飲まない。勧められても飲んでやるもんか。そう思いながら鰻を頬張った。

 

 

 

 

 

その春から約数年。成人した私に自然と、ビールorビール味の何かを飲む機会が生まれた。ビールそのものを飲んだのはだいたい歓迎会などで上司に勧められたり、同期の代わりに飲んだり、である。同期女子の中でビールが飲めるのは私だけだった。加えて同期の中では年長だったので、男子の同期の後ろで私が代表のように立ち、お酌をして逆にこちらも注いで頂いて、飲む、ということも経験した。

 

『意外と飲めるんだねえ』

 

 と上司に言われるとちょっとだけ嬉しかった。ありがとう七竈〜、と他の女子同期に言われていいよ最年長だし、と返す。案外こういう時は楽しかった。美味しいかどうかは分からなかったが、まずくはなかった。頼られて嬉しくてテンションが上がっていたような気もする。お酒が苦手だけど飲まされてる同期男子の代わりに、そっと自分の空グラスと変えたこともある。流石に青い顔をしている同級生を見ていられなかったのもあった。会釈してくる彼に、親指を立ててビールを飲んだ。

 

 

 

 

私にとって、ビールは"仕事"で飲むものだった。誰かのために、誰かの代わりに。もしくは、勧められて。自分で買うとしたら、ほろ酔いか牛乳割り前提の瓶に入った甘い酒だった。今も冷蔵庫にクリームブリュレ味のお酒が冷えている。ほろ酔いは、クリームブリュレ味のお酒がまだあるので久しく買っていない。

 

その冷蔵庫に、初めてビールの缶が加わった。冷蔵庫を開けるたびに目に入る鮮やかで明るい青。柔らかな白字の明朝体で書かれた『晴れ風』という文字。17年ぶりのKIRINビールの新商品だ。これを買ったきっかけはもちろん、Snow Man目黒蓮くんだ。正直彼にCMが決まらなければ、ビールを買うことなんて一生なかったと思う。あるとすれば、将来伴侶を得ることができた時にその人のために買うくらいだったと思う。正直、自分でも信じられない。

 

 自担という観点で見ると、昨年山田涼介くんもよにのちゃんねる(旧ジャにのちゃんねる)のメンバーでクリアアサヒのビールのCMに出演していた。購入を考えたが、我が家によにのの某メンバーの猛烈なアンチがいて(その人を好きと言った人まで猛烈に嫌い聞くに堪えない文句を言う)その家族の機嫌を考えると、とっても買いづらかった。買ってきたのがバレると、人格否定までされるほどの罵詈雑言が飛んでくるのが目に見えていた。加えて、初めて飲んだビール味のものはアサヒのものだった。仕事関連で飲むのも、だいたいアサヒのビールだった。ぶっちゃけ、義務や仕事の味だった。

 

アサヒじゃなけりゃな…でもまぁ、そのうち買うか、こそっと。夏になったらおいしく飲めるかもしれんし、と店頭で購入を迷っては後にしていた。

 

そのCMは、私がクリアアサヒを買う前に消えてしまった。

 

だからこそ、晴れ風は早く買いたかった。よほどのことがない限りCMが急に消えることはないとは分かっていた。目黒くんはKIRINと個人契約をしたのだから。でも、それでも2023年の夏を思い出すと嫌な汗が滲むのだ。

 

 もう発売しているらしいという情報がX(旧:Twitter)を駆け巡り、コンビニ、スーパーを探しては落ち込んだ。JRが30分から1時間に1本のど田舎故か、まだなかった。

 

そもそも、本当に飲めるのか。あの苦味を。名前は晴れやかだけど、苦味があることはビールでありお酒ゆえある程度確定事項のようなものだ。いや、耐性はついてきたしある程度飲めるのは分かっていた。でなきゃ同期の代わりに3杯もビールそのものを飲み、ノンアルコールビール2杯も飲まない。

 

 そんなことを思いながら時間がある時にスーパーを巡っていた日曜。フジテレビのドッキリGPの人気コーナーから生まれた、我らが奈良出身のSnow Man向井康二くん扮するマッサマンの、マッサマンカレーが某スーパーにはあると聞きつけ私はそのスーパーに出向いた。

 

 マッサマンカレーは、なかった。ないじゃん…ないやんけ…と項垂れる私の横を「まっさまんないいいい!!!」と叫ぶ5歳の僕が同行していたであろうお父さんに向かって叫んでいた。すごいなマッサマン、マジでちびっこに人気なんだな。お姉さん感動したよ…おちびさんにカレー見つかりますように…と思いながらカレーコーナーを後にし……

 

たところで晴れ風が山積みになっていた。

まじ???とりあえず3本買った。6缶だとたぶん多い。この日実家に帰る予定だったので、昇進した父への手土産である。

 

 昨年夏の騒動を見ていた酒好きの父(酒に弱い)は、「司法を通さずに賠償金をもらえるなら、これまで苦痛や屈辱を堪えて警察に駆け込んで、それでも不起訴で泣いた女たちはどうなるんだ!」と憤慨して、タレントは関係ないやろが下手したら被害者やろがふざけんな誰が買うかと自主的に大手のビールを買わなくなった。ブチギレていた。めちゃくちゃブチギレていた。オタクの私たち家族が、ちょっと引くほどだった。それ以降調べに調べて、主に日本酒のメーカーが作るクラフトビールや、海外ビールを飲むようになったと母から聞いていた。

 常にストックされていたオールフリーと金麦の箱は、処分されて消えていた。代わりに妙な顔の猫と悪魔と鶏と犬が縦に陳列されるようになり、それはそれで違和感がすごかった。なんだこのトーテムポール。

 

しかしどうだろう、手のひら返しかよお前…とか嫌がるかなと思いつつも、持って行くと新製品のビールをいち早くゲットできたことでご機嫌そうだった。

 

「あのCM見てな、買って持ってくるんちゃうかと思っててん、お前ビール苦手やろ」

「飲めへんわけちゃうで、職場やったら飲めへん同期の代わりに飲むし」

「お前がか!?」

 

 夕飯時、父は驚きながら速攻晴れ風を開けた。プシュッと軽く音を立てたプルタブ。父のワクワクした瞳と、爽やかな青の缶からグラスに注がれるビールが眩しい。

 

「おお??えらいあっさりしとんな」

 

一口飲んで父は驚いていた。

 

「その感想結構タイムラインで見たな」

「だいぶ飲みやすいぞこれ、ビール普段飲まん若者層を開拓って感じやなこれは。目黒のオタクの女子とかとにかく年代広げるつもりやな。」

 

 お前もこれなら大量に飲めるんちゃうか、と父が目線を逸らして笑う。私もその父の目線の先を見て苦笑いをした。

 

 

晴れ風、24本…いや、正式には12本入った箱がそこにあった。実家に到着してしばらくして、私がお土産で持ってきた晴れ風の話題になった。どうやらグラス付きの分も販売されているらしいが私が晴れ風を買った店舗にはなかった、と言った瞬間、母が目を輝かせた。

 

「そこの酒屋見に行くか?」

「ええん!?」

 

 実家に帰ってきて1時間後の話だ。いいのかよ、と思っていたら母が速攻出かける準備をする。母は限定の品に弱い。特に、家族が絡むと。たまごっちが流行っていた頃、並んでいたら私たち一家の一人前で売り切れたと知って膝から崩れ落ち、即車に私たちを乗せて1時間先のおもちゃ屋まで車を飛ばした人だ。偏愛ではあるが、愛が深い人なのだ。過激で苛烈な一面がだいぶ激しいが。

 

お言葉に甘えて酒屋に行き、グラス2本と、24本入った晴れ風の箱を一つ抱えて、私は母と帰ってきた。父はその姿を見て爆笑していた。12本実家に進呈し、12本は自分の住む部屋に持って帰ることにした。

 

……あれ?とお気づきの皆さんもいるかもしれない。そう、オリジナルグラスは『6缶で1本』である。多分本当はグラス4本分だ。私はぼんやりとした情報しか把握しておらず、かつ訪ねた店の店員さんも「あーどうでしょうね晴れ風か〜、一応店の奥見てみますわ!」と把握してなかった。発売前に、店頭になかったのにわざわざ出してきてくれたのだ。それに4本あっても、私の住む部屋では収納スペースが残念ながらない。

 

「…乗るんかこれ」

「乗せれるて、さっきも24本入りの箱持ってたやろ」

「せやな」

 

 そう言った母は少し寂しそうに笑っていた。その手には、6本の午後の紅茶(レモンティー)が入った紙袋。母方の祖父が、私と妹が幼い頃喜んだからと定期的に母に渡すものだ。おかげで私の実家はレモンティーが途切れることがなかった。溢れかえって困ったことがあるくらいだ。一時期40本くらいあった。そして、私の住む部屋でも祖父からの午後の紅茶が途切れたことがない。実家経由で私の部屋にいつもレモンティーはある。

 

 

 気づけば、KIRINまみれだな。そんなことを思いながら帰宅した私はその日、部屋を掃除してお風呂に入り、晴れ風を開けた。普段は飲まない、ビールの匂い。でも、まだ嗅いだことがない新しい匂い。グラスに注ぎ、溢れそうになって慌てて口をグラスに持っていく。

 

……美味しい。あっさりしてる中にやはり苦味はある、でも。

 

「美味しい!」

 

 思わず言った瞬間、涙が出た。嘘だろ、と思いながらも涙が止まらない。泣き上戸という訳でもないのにな、と思ったが頭によぎったのはやはりあの春の法事だった。続いて、初めてお屠蘇を飲んだ正月も頭に浮かんだ。

 

初めて飲んだ酒はお祝いの酒で、験担ぎだった。飲んでいいのか、と戸惑いながらも美味しかったのは、だいぶ早い合格祈願、そして正月の祖父の家での祝いの場だったからかもしれない。美味しいと言ったとき、祖父は笑顔で祖母も微笑んでいた。母はどこかほっとした顔で、妹だけが横で不満げにブスくれていた。ちなみにこの3年後妹もようやく飲むことができ、顔をリンゴのように真っ赤にして満足そうだった。

 

初めて飲んだビール味のそれは、あれはほぼ強要だった。よく知らない親戚に圧をかけられて、飲んだ。外で、制服で。ノンアルコールだったのがまだ救いだったような気もする。それでも誰かに見られたら、と嫌な心臓の音が止まらなかった。誰も止めてくれない。困りながら飲む私の顔を、その親戚はずっとニタニタと見ていた。その全てが、気持ち悪かった。熱くはない、でも妙にぬるいその苦い飲み物は私の身体を逆に冷やして行った。飲み干した後の私は、顔が青かったそうだ。ようやく気づいた父が本当にノンアルコールか確認したほどだったという。あれ以降、法事で私はその親戚のそばに座らされたことはない。

 

 

もう一口とグラスを傾けると、一気に身体が熱くなった。いつも飲みたくなったら飲むクリームブリュレのリキュールは、かなり牛乳で薄めている。空気の入れ替えのために窓を開ける。

 

その途端、カーテンが大きく揺れた。勢いでテーブルから転げ落ちる缶を慌てて拾う。そしてくしゃみをした。春の生ぬるいけど少し冷たい風が、酒と風呂で熱くなった私を冷やす。グラスを片手にベランダに出ると、山の方に桜が見えた。やわらかな湿った土というか、若木の匂いもする。あぁ、春なんだな。まだ、桜は咲ききっていないな。そんなことを思いながらまたグラスを傾ける。

 

…14年前、あんなに苦い、まずい、二度と飲むもんかと思ったビールを大量に私は買って、美味しいと思いながら飲んでいる。不思議なものだ、しばらく父の飲むビールですら見るのも嫌だったあの頃。

 

これまで、ビールと聞くと浮かぶものは、酒盛りしている祖父と父をよそに台所に立つ母の背中。黒い服を着た親戚たち。そして、困った顔をした同期たちだった。

 

これからはきっと、ビールと聞くとこの青い缶と春の風の匂いが浮かぶのだろう。ティファニーに続いて、苦い思い出が鮮やかに塗り替えられていく。私は何度、アイドルに救われるんだろう。

 

 これまでもずっとそうだったし、きっとこれからもそうなんだと思う。たとえ誰に何を言われても、好きな人が起用されたら、それがどんなに苦手でも一度は手を伸ばす。好きな人を起用いただけて、たとえ起用が終わったとしても本当に好きならたぶん買い続けることだろう。私はいまだに、山田涼介がかつてCMをしていたラチェスカをたまに使っている。もはやあのロゴは私にとって日常である。そして、知らないものに起用されたら、知らなかったことに触れて少しずつ世界が広がるのだ。

 

 半年前、愛はあるけど偏りが非常に重い実家をようやく出て、ある程度の自由を得ることができた。門限は21:30〜22:00。24歳まで、外泊時は男の人がその場にいない証拠写真が必要だった実家。一人暮らしを始めてから、職場の同僚と23時近くまで私の部屋で飲み食いして、「夢が一つ叶った」と言ったら夢の規模小さすぎると爆笑された。人よりもたぶん、私はいろんなことを知らない。これからどんなことを知ることができるのだろう。ビールも美味しくなった春、今度何を知ることができるのだろう。

 

そんなことを思いながら、私は初めての晴れ風を飲み干したのだった。