七竈の食器棚

徒然なるものを竃につめこんで。

『人と喋らない仕事』と聞いて応募したが、がっつり喋る仕事だった医療従事者の話

「事務員ならあんまり人と喋らないと思いますよ」

 

 そう言ったのは大学の就職センターの職員さんだった。大学4年、7月。当時の私は、ようやく自分のなりたい職業に対し諦めがつき、遅すぎる就職活動を本格的に始めたばかりだった。目の前には、地元の企業の採用情報が並んでいた。

 

「事務員なら、こことかどうですか?あなたの学部のコース的にはこれとか」

 

 その時バイトをしていたのが塾の受付事務と言ったら、その職員さんが勧めてくれたのがとある病院の事務員の募集要項だった。事務員は2種類あり、職員さんが勧めてくれたのはクラーク業務を行う事務員だった。

 

「若干名となってますけど、お試し的な感じでまず受けてみましょう!」

「あなたの地元では有名なところなんですよね?まずは受けてなんぼですよ!!」

 

 その時、私は自己肯定感がぼっきぼきに折れていたのと、とにかく早く何とかして就職先を見つけねばという思いでいっぱいだった。そして提示された時点で締め切りまで7日というその募集要項をもとに履歴書を書き、写真を貼り、速達でその病院に履歴書を送り面接を受けた。

 

 

 

 

 

まさかの一発採用だった。若干名と聞いたがなんで自分が受かったんだ!?と本気で思った。

 

 

 

 

 

 大学に報告に行ったら、「絶対に内定を蹴らないでほしい」と言われた。

 

その時点で8月だったのもあり、私はまあいいか、とそこに就職先を決めた。

 

 ゼミの教授や、学部の先生方には驚かれた。どうやら全国的に有名な病院らしいとようやくその反応で知った。学部長に『実習直後に就活に切り替えて即内定を取ってきたことを後輩たちに体験談として話してくれ』と頼まれたが丁重にお断りした。そこまで有名なところと知らずに受けましたなんて言えるわけなかった。

 

 

 

 

 

 

 

……就職した今なら、あの大学関係者の反応もわかる。一部の業界で、ここに採用歴があるというのはネームバリューが大きいのだろう。同期たちにこの話をしたら『ほんとに何も知らずにきたのか』と愕然とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 さて私は、何も下地がないまま医療業界に飛び込むことになった。蓋を開けてみたら同期の中で医療事務の資格も持っていないのは私だけだった。正直、どうして採用されたのか今でも分からない。

 

 戸惑いしかないまま入社式と2週間ほどの研修を終え、私と同期たちは配属先に案内されることになった。

 

 私の配属先は、同期たちと話してた中で一番私が行くことはないだろうと言っていた科の外来だった。 病院の玄関口みたいな科で、なんでも受ける(というか回されてくる)ところだった。それ故にかなり忙しくて色々な医者や部門の人が出入りしていると、研修の中で説明を受けた。ここで診察を受けて慌てて専門科に振られて緊急入院即手術!となる人もいるくらい、とにかく色々なことがある外来だと。

 

『え!?七竈がここ!?』と同期たちが後ろで言っているのが聞こえた。

 

私が一番驚いていた。なんでや。私たぶんこの同期たちの中で一番医療系詳しくないぞ。

 

 

 

 

 

 さて、疑問だらけで事務員生活が始まった。仕事内容はと言うと『診察している医師の話を聞いて次回予約を取り、検査の予約を取り、どの薬が出ているか患者に説明する』という仕事だった。

 

 医師によってその仕事の内容は少しずつ違ってくる。検査予約も日程も全部取る医師の診察についていたら、説明するのは次回の検査内容と処方だけだ。

だが『だいたい次の診察はこの日くらいに、検査はこれをこの日までに受けてくださいね』というざっくりした説明をして次の患者さんを呼ぶ医師の場合は、事務員が検査の日、診察の日を全部患者さんと話してスケジュール調整することになる。場合によったら医師が出した薬の日数を調整することにもなる。

 

 そしてこの外来に多いのは圧倒的に後者の医師だ。そして予約患者の人数が多い医師ほど、こちらが患者さんと次の診察の調節をする。それは私の仕事が『医師の診察介助』だからである。医師はその日来た患者さんを出来るだけ多くそして早く、適切に診察しなければならない。私たち事務員はその補助作業が仕事だ。

 

 がっつりしゃべるやんけ!!!?と試用期間の間ずっと思っていた。いや人と喋らない仕事なんてないが、思った以上に喋る仕事だった。そして医療系資格あまり関係がない仕事だった。いや分かってた方がやりやすいこともあるのだろうが、私自身は資格を持ってないことで苦になることはなかった。

 

 

「私、事務員ならあんまり喋らないかもって言われてここの面接受けたんですよ」と言ったら先輩方に爆笑された。そして「たしかに思った以上に喋るし頭こんがらがるよな」と返される。そう、とにかく状況によっては頭がこんがらがる。順序よく分かりやすく説明するにも、どうしたらいいんだとなりがちである。

 

 

 求められることは判断力、決断力、そして説明力だった。患者さんの様子に合わせて分かりやすく説明することも求められるし、患者さんの体調とスケジュールに合わせて検査場所も考えねばならない。たまにパズルみたいに感じる。なんでうちの病院こんなに検査棟が分かれてるんだと思いながら。

 

 この仕事内容を聞いてればたぶん応募してなかったと思う。新人時代は一人の患者さんの説明をしていたら二、三人終わっていたなんてこともあった(今でも忙しい日だとたまにある)。

 

 

 できるだけ待ち時間を短くして、検査の予約を取って患者さんにご帰宅いただくことが理想の仕事だ。検査によって必要な問診票を患者に書いてもらって、医師のサインをもらう。そして必要書類だけをまとめて患者に渡しつつ説明をする。

 

 ……サインさえもらえればあとは帰すことができるのに、医師が診察中かつ長引いて30分かかることもある。そして患者さんによっては事務員を怒鳴る(流石に稀である)。いつまで待たせるんだと言う患者さんに、重症な方がいて長引いてます申し訳ありませんと頭を下げる。

 

 

  待ち時間に怒る患者の応対ほど苦痛なものはない。私だって待たせたくない。だが待ってもらわないといけない時は、待ってもらうしかないのだ。理由を説明してひたすら謝る。

 

 処置中にアレルギーを起こしたり、突然倒れた患者の処置応援にいったり。中には救急外来まで運ばねばならず、それに付き添わねばならないということもある。外来の医師は、予約そっちのけで対応しないといけないことも案外多い。それを理解してくれる人が大半だが、中には理解せずひたすら怒鳴る人もある。

 

「先生なんでこんなに遅れてるんですか!?実は遊んでるんじゃないですか!?この人を待たせていいと思ってるの!?」と言われた時は流石に「今の先生方に遊んでる暇なんてありません!容態が急変した方の処置中なんです!!」と言ってしまった。ただ若いだけの女に何がわかると火に油を注いでしまったが。

 

 

 

 いつか辞めるだろうな、と思っていた。特に院長と知り合いだから早く呼べいつまで待たせるんだという相手の対応には。文句があるならこの場で直接院長に電話して私の名前を言ってクビにすればいいのに、とすら思った。そう言ってやろうかと思うこともあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……そう思いつつ、気づけば4年目になっている。そして事務員としての私を鍛えた医師がもうすぐ退任する。私は気付けばその偉い医師の全ての外来日についたことがある、その外来で唯一の人間になっていた。4年目のギリ中堅なのに、異動や退職などでそうなっていた。嘘だろと愕然としたが、事実だった。そのおかげか大概の患者さんの名前と顔が一致している。

 

 その医師の退任が決まってから、私の仕事に退任関係の仕事が加わった。引継リスト作成と他院紹介先のリスト作成、そして退職後に予約が入っている患者への手紙代筆。宛名を書きながら、患者さんたちの残念そうだったり驚いた顔が浮かぶ。たった四年の間にすっかり患者さんたちを覚えていた。そしてその患者さんたちがその医師をとても信頼していることも分かっていた。

 

  手紙を読んでお電話をくださる患者さんも多い。そして最後に医師にお会いしたいから、なんとか予約を入れてほしいという要望も。予約人数と照らし合わせ、待ち時間が長いことも伝えた上で予約を入れる。医師の指示に、『どうしても最後に一回という方は予約を入れる』というのがあった。優しくて人気の医師だったからこそ、皆さん別れを惜しんでくださる。常に待ち時間が長い予約ではあったが、この一ヶ月はことさら長い。どの方も別れを惜しんで話が長くなる。泣き出す方もいた。待合で待ってくださる患者さんたちをに頭を下げると、みんな察してくださった。いつもは顔を見るなり順番を聞いてきたり診察券を突き出してくる人も、何も言わなかった。

 

『寂しいもの、長年診てくださってたのに』

 

  次の引き継ぎのことを伝えると、こんなことを言ってくださる方もいた。

 

『七竈さんの仕事ぶりも板についてきたのにね』

『すっかり馴染んできて仕事も早かったのに』

 

 この4年で、診察介助のスピードは早くなったとは思う。この医師はこの検査を出すことが多いから該当検査の最新の予約状況見ておこうとか、リストアップすることを覚えたのが大きかった。だいたい三ヶ月先までリストアップしておき、朝の診察前に空き状況をチェックする。2日連続で来てもらわないと困る検査ほど、リストアップしておくことが大事だった。2日連続で来れることができる日を確保というのは結構難しい。

 

 

  この日なら他の科を受けた後に検査を受けて帰ることができますよ。

この日でしたら検査場所が分かれてしまいますが、同日で受けることができます。

 絶食の検査ですがこの日の朝とかどうでしょう。

 申し訳ございません、次の診察日までに検査が空いてるのが3日しかありません。

 

 

 患者さんに提案しつつ、次の診察日までの予約を入れる。どうしても無理な場合は検査室に電話で相談する。

 大変だが、なんとか検査が患者の要望とこちらの診察日までに入れられた時はホッとしつつ嬉しい。

 

 新人時代は相当たどたどしかったと思う。どう説明したらいいか分からないから、とにかく教育係の先輩の説明している様子や、他の先輩方の説明を聞いて片っ端からメモをしていた。どの検査があるか、注意事項は何か。来てもらうのはこの時間だが、検査場所はここだとか。とにかく書いた。聞いた。それもあって喋れている。

 

 喋ることは、今でも苦手だ。予想外のことが続くとパニックになるし、説明を理解してもらえたか不安になる。だが、伝わってるととても嬉しい。その喜びがあるから、なんとか続けてこれたのかなと思う。

 

 

 引き継ぎの関係で、私は多くの患者に別れを言うことになった。七竈さんは次の担当じゃないの!?と半分くらいの人に驚かれる。退任する医師は長年働いていた方で、トータルすると1000人は超える患者をだいたい三ヶ月で診ていた。あまりに人数が多すぎる故、来てもらう日を分散させざるを得なくなったのだ。私が今後定期的に顔を合わせる患者さんは今までの30分の1くらいになる。

 

 私は辞めませんよ!と言いつつ何かあったらまたお声がけくださいね、と言いお別れする。この二ヶ月、その繰り返しである。自分でもこの返しがすっと出てくるのが不思議だった。先輩事務さんたちのやりとりを見ながら覚えたことの一つだった。

 

 だが、寂しいと言われるとちょっと嬉しいものがある。何かあったらまたよろしくねと言われることも、嬉しかった。四年前の今頃はまだ声をかけられるだけで緊張していたというのに。

 

『新人さんを指導してる七竈さんを見て、七竈さんもすっかりベテランさんやなあと思ってたんですよ』としみじみ言われた時は恥ずかしいやら嬉しいやらでなんだか泣きそうになった。そんなやりとりをした患者さんとも、お別れをすることになってしまった。

 

  これから、このコロナ禍でいろいろと変化することはさらに出てくるだろう。私の仕事も、喋ることが多い仕事だからもしかしたらなくなることがあるかもしれない。なくならないだろうと思いつつも、どうなるかは分からない。 それでも、この仕事について良かったと思っている自分がいる。とにかく早く定職を得たいと思って飛び込んだけど、結果的にはしんどいけどもとても楽しい。

 

 なんとか変化に振り落とされないよう、笑って喋って長く仕事ができたらな、と思う。

 

……でももうちょっと給料は上がって欲しいな?(通帳を照らし合わせながら)(節約しろ)